アウトプット

相手の視点に立ってみよう

いやになっちまうわ

 こう、商業主義的な広告ばかりで嫌になっちまう。記事もそうだ。美人の画像の下には口臭対策の話。全く関係のない画像が安易に使われているのも腹が立つ。でも、それを金にしている人間がいるってことを考えると何も言えなくなってしまう。皆がどんどんバカになっていって互いに幇助することをやめたら何と出来上がった世界は個人のギミックさに溢れたハザードばかりが目立つようになってしまったというところだろうか。嫌だね。こんな批評、馬も食わない。どこが嫌なのか。世界、とかいう言葉を使うな。お前のいう世界はどこだとか、突っ込まれやすくなるだろう。批評とか無理無理無理。思ってもないことを書き始めたらなにか自分も思っていることがあるんだって気づく、なんて書いてみたところでさ、何も考えていない自分に出会うわけ。統合性に最も興味のない人物だからさ、それは私ね、だから、ちっとも面白くないわけ。分析が足りない。すぐにハゲのデブはネット付きで陰湿、女子高生を遠くから誘っといてい服脱がせて地面に埋める。オシャレっていうのも好きじゃない。オシャレっていうのは、暴力だな。意味不明だろう。でも、実際そうだ。オシャレなやつは頭の中もオシャレな感じがする。服って嘘をつくにはもってこいだ。でも、上手に嘘をつけるってことは本当なことが何かをわきまえてもいるのかも知れないね。だから、嘘がつけるんだって思ったら、嘘つきほど本当ってことをよく知っているんだと思ったね。だって、本当を見せびらかす奴っていうのは嘘が下手くそなんだから。共犯者は誰だって鞭打たれても上手に嘘をつかなくちゃ死んじまうわな。そんなことばっかり考えているから、おかしくなっちまった。元からおかしいんだけど。こういう言い方も、全然変わらない。自分で言ったことを即否定する。インド人の思惟方法として、全否定があるらしい。例えば、コップがあることがない、こんな感じで状態の否定をする。コップがないとは言わない。省略されているとも言えるわな。コップがないっていうのは。こんな話でずっと何を描こうっていうのだろうかね。一体全体僕はもっと自分というものを捨て去らなくちゃならない。耳をすますってことは自分を殺すっていう経験だと思う。殺すっていう表現が最悪だからもっといい言葉がないか、自分を抑えてみる。すぐに、飛びついてしまうような衝撃に無視を決め込んでしまう。自分の意識の向かう先について、興味がそっちに沸いているなっていう意識にとどめておくことかな。そうすれば疲れないんだよ。今日はこの辺で。腰が痛くなった。