アウトプット

相手の視点に立ってみよう

扇情的読者

 もう、私には彼らと付き合うために時間を割くことはしない。彼らとは、ネットの記事に突き動かされている連中である。どうでもいい記事を題材に論評し避難し笑ってすごく。笑ってしまえばいい。どうでもいいのだ。刹那的だから次のハプニングを待っている。ドッキリ番組も浅はかだ。わざと驚いてやっている時だってあるだろう。本当に驚いている時もあるだろうが。

 私は一体何の話をしているんだ。テレビ嫌いは治らないが、テレビを見て笑うことも十分にある。テレビが好きだからこそテレビの文句を言う。そう言う言説にも飽きた。それならば、面白いチャンネルを作ればいいじゃないか。一体どうして、協力して番組を作る必要があるのか。金になるからだ。自分を今表現したいのならば、youtuberになればいいじゃないか。なぜならないのか実に不思議なのである。テレビは消費者のためにある。雰囲気のいいおしゃれな食い物見せて脳みそに焼き付ける。こんなうまそうなものを食べてみたいと本気で思えるのなら本当に幸せな奴らだ。俺はこんなくだらないもののために割かれる時間がもったいなくてしょうがない。

 やるべきことがあるだろうと言うのが自分の中にある。そして焦りとなり焦燥に駆られた想いに苦しむ。それが自分の運命なのかもしれない。せっかちである僕はね。