アウトプット

相手の視点に立ってみよう

西洋哲学とは

 西洋哲学っていうけどさ、広すぎるんだよ。凝縮しちまおう。「言葉に頼って事故を自己あらしめる魔術」これが西洋哲学の狙いだろ。いっつも、自分の存在を疑ってる。相手の存在を疑ってる。猜疑心の塊。本気で疑えば全てうたかた、泡のようなものなのによ。実態から離れられない。だから、疑いまくって自分という肉体を文字で跳躍させようと必死なんだ。文字でこそ真理が言い表せられるのだ!ほんと、哲学って魔術だよね。現実が現実なのは誰も現実を疑わないからなんだよね。疑わないから現実なの。君の周囲のものぜーんぶ嫌な現実で囲まれているのもそれを本当だと思って現実だと思って思いなしているからなんだよ。嫌な奴がいるだろ。そいつの声と姿をとったら嫌な奴は消えちまうわな。だから、自分の目と耳を失くしてしまえば嫌な奴は死んだも同然。じゃ嫌な奴を殺すのは、自分の目と耳を切り落とすことだね。

 誰も気にしないから現実なんだよ。疑ってみろよ。現実っていうのは疑うことを欲しているんだよ。すると君は元気になる。げーんきなる。元気が一番。それだけ。人間の状態で一番いいのは元気であること。それは若いから体力があって食い意地もあるから元気だというのは違う。若さは毒も併せ持つ。自らの毒に苛まれて自殺する。老いの元気は体力がないから控えめだ。仏教の節制をよく体現している。まあ、年齢で人間を規定するのはつまらんね。大嫌いだ。

 世界が静まり返る時僕の耳は切り落とされて川の中に流れていく。そして夜の月の光に照らされた小石の上で虫の音でも聞いて眠っているのだろう。

 おいおい、正気か。なんかあぶないぞ。

 ポカーンと開いた口からクジラが生まれた。クジラは大海原に飛び込んで紫吹もなく消えた。ささやかな波が風といっしょに潮風を運んで鼻腔を湿らせる。この海の果てには、なにもない。