アウトプット

相手の視点に立ってみよう

ゆっくり書こう、空を見上げよう

 自分で自分を縛るのをやめよう。自分を拘束しているのは常に自分なんだ。それに気がつかないでいると余計に苦しいんだ。僕はこうしてタイピングすることで言葉をディスプレイに表現しているわけだけれども、一体どう書けばいいのかわからない。自分の不安は戦える武器もなく世の中に出ていくことへの不安だ。もう、武器を作るにはめんどくさいので運命に身を任せ殺されない程度に生きていくことならできるかもしれないと自分を納得させることもできるが、面倒なので、そもそも不安を解消しようとするのをやめることにした。他人が何をしようと何も関係ないわけじゃないけれども、気にする機会を減らそうと思う。僕はあまりにも雑に言葉を選んできたと言える。どの言葉にも、僕は正確な表現を与えるような努力をするべきであって、あまり奇抜な思いつきを垂れ流しにするのは良くないと思うようになった。しかし、垂れ流しの中にきらめく直感が少しでもあれば私はそれを非常に大事に思いたいのだ。

 僕は孤独だ。孤独だからここに書いている。誰かが僕の文章を読むかもしれない。しかし、その誰かを僕は知らない。僕は知らない人を作り出してその人に向かって自己紹介をしなくちゃならないのか。その手間が省けたのなら楽だ。自己紹介をすればその時点で沈黙のうちにその人間に役割が出現する。医者なら医者の話に詳しいだろうとか。しかし、私は自分が何者であるのか言うのがめんどくさい。何者でもないわけじゃない。もちろん、医者だってそうだ。しかし、最も私を悩ませているのは世の人と問題を共有する機会がないからではないか。世の中は私の外にあるので、私自身はとにかくゆっくりと物事にあたるほか実感を得られないことに気づくべきなのだろう。

 天才は、己を追求できる能力だ。世の中の出来事に興味などなくて己の疑問に答えようとするのが一番の快楽である。それは例えば、なぜ本居宣長がずっと古事記伝を読むようになったのかと言う話とも関わってくるように思われるのだ。体が一番の資本だからぼちぼち散歩でもしながら過ごしてみようかと思う。