アウトプット

相手の視点に立ってみよう

メディアはメッセージであり、私たちに命令する

 車を買え、化粧品を変え、面白いことを言え、笑え、泣け、感動しろ。すべて不自然な気持ちから起きるものだ。もうメディアづけだ。天気予報もメディアで知る。仕方がない。しかし、ニュースまでメディアだ。知らなくてもいい情報をたくさん流してくれる。日々感覚を失っていく。私たちはメディアに飼いならされて結局は人生さえも自由に生きられないことを悟るのだ。人は一人では生きてはいけない。メディアに飼いならされた人たちが集ってしまえば、メディアを見なけりゃ話にならない。つまらない話など世の中にはないのだ。つまらない話をいかに面白く言うのかが大事なのだ。ニュースの必要性を論じているのは、都合の悪い情報を遮断したい気持ちもあるのかもしれない。しかし、ニュースはもみほぐす必要があるだろ。結論なんて決して出ない。北朝鮮武装解除することを良しとしても、それに反対な人たちもいるのだ。だいたい、人と同じように考えると言う無理がアートを作り出すのならば、アートは人の心に通じすぎて疲れた人の憩いの場所だと考えたほうが無難である。芸術とは、感覚を頼りに皆が正義だと思っている事柄に対して違和感を持つことであろう。そのうち違和感が本物になってきて孤独を感じ周囲が心を失った宇宙人に見える時が来てどうしようもなく生きづらくなってしまったら、黙って静かに死ぬこともあり得ないことでもないのかもしれない。すぐに、共感を持たなくちゃならないとはあり得ない。他人に共感を求めるのは、泣き脅しとおんなじである。他人と自分は違うのだから、共感してもらうことは相手に対して心理的負担を生じさせる。相手の気持ちを慮るにしても、それは相手の気持ちであって自分の気持ちではないと区別することは非常に難しいのじゃないかと思う。だからどうすればいいって言う話ではなくて、新宿の若者が酒を飲みながら楽しんでいるのも、吐きそうな話題をネタにしてあの女とはこの間あってホテルに行ったが貧乳だったからイライラしてると、もう連絡が来なくなったとか。おまえ、あいつと付き合ってんだろとか。そう言う話ばかりなのかと一人妄想しているのだ。実際に新宿の居酒屋に集う変なブランドに身を包ませたいけてる野郎どもの香水の香りがいけ好かない。もう疲れる。疲れるから新宿でご飯を食べるのはあまり好きじゃない。