アウトプット

相手の視点に立ってみよう

視界のモザイク

 好きなことをするためにはどうすればいいのかと、講釈を垂れるような人間が多いことに爆笑しているのだが、好きなことがしたければ好きなことをすればいいじゃないか。それを計画的にしなくちゃならないといっているときに本当にそれがしたいのかと問いかkて見る必要性があるように私には思われるのだ。しかし、こんなことを言ってみてもしょうがないので面白くもないことをつらつらと今から描き始めたい。面白くなくても私はただこうして文字を打っているだけで楽しいのだからしょうがないじゃないか。何も言葉に力があるなんてちっとも思っていないのだからしょうがない。言霊があるのを信じるという遊びもやってみてはいるけれどもそれには少し私には環境の変化が必要だということを前以て言わなくちゃならないような気がしている。つまり、どう考えても私はもうダメなのだと思い込んだときに私はすぐにダメになるという経験を通して私地震動でもいいやと考えている方がいいということに突き当たらなければならないということだろう。個展を見ていると人間の歴史は短いのであまり嫌なことを我慢して長くし続けるのは阿呆らしいと思われるのだ。当たり前だが人生は短い方がいい。長い人生を楽しむ連中と私はちっとも気が合わないのだ。ゆっくりした時間を過ごす連中は何もかもゆっくりで私は苦痛は早く終わらせたいので彼らのようにドMではないのだ。それに、ドSでもないなぜなら好きなことばっかりしていても気がひけるからだ。今日こうした歪んでしまったのはなぜだろうと考えてもちっとも面白くないのでやめっちまおう。結局は思っていること考えたことのほかはちっとも何も話せないというのに築くべきなんじゃなかろうか。それがいちばんの記憶術なんじゃなかろうかと考える。考えながら学ぶのは大事だ。暗記ものについていい悪いとあるがどっちだっていい。好きな文章があれば写せばいい暗記したければ暗記すればいい。したくないと言い出す連中はただ勿体無いとだけ思っていればいい。それに限界もあるのだから暗記もので成績をつければ頭の硬直化したやつしか集まらないというがそもそも社会派硬直化した奴らがうようよしているので、成績がいいやつが氾濫しているのだ。秀才の多い社会とはこのようにニュースで事件を知りしたいを何一つ見ないで死んでいく視界がモザイクだらけの社会に生きているようなものだ。