アウトプット

丁寧に書く。

ブラックホール

 ブラックホールの写真が撮られたらしいがなんの感動もない。しかし、感動がないことを言ってみても仕方がない。何も書かないで終わるじゃないか。だから、あの赤いドーナッツの穴にひところ言わなくちゃならない。馬鹿げた話だ。近頃は書きたいこともない平和な日々が続いている。僕は、書くことフェチだ。何を書いても結局は駄作ばかりで読む人はいないけれど、異常に書くのが好きなんだ。書くことで意識が集中するからじゃないかな。書く瞬間に文法が生まれるとも言われている。脳みその中で何が起こっているのかを知る方法として脳みそを毎回毎回解剖してみたら体がもたないだろう。だから、言葉で言い表すようにしているんだ。頷くだとか、表情も文章見たいなもんだね。結局人間の感情が言葉から作られるようになってきたってこと。あまりにもうるさいのは感情が蔓延しすぎて受け止められないからだ。だから、静かな場所が一番いいのだ。寂しいなんで贅沢にすぎない。自分の心の空虚さを見つめろというが、寂しがりやじゃない俺は多分空虚さなんてちっともなくて常に何かにざわついてうるさい脳みそを持っちまっているから、創造的な虚無を必要としているのかもしれない。雑多なものがたくさん脳みそにあるから、それを退ける作業が必要だ。そうだ、瞑想だ。meditationだ。僕はこの発音が好きだ。特にtationのところが好きだ。フランス語だとスタシオンと発音するんだ。もっと言えばシオンが好きだ。オンが好き。オンだよ。脳みそも常にオン状態じゃ無意識の働きをキャッチできない。僕がこれを書いている時もちっとも画面を見ないで何か現れてくる言葉をキャッチ異様と必死になっているにすぎない。必死だとか言っているけれども汗はちっとも書いていないから比喩表現だ。わかる?これが混乱という事態の幕開けに過ぎないことを。それにしても実際に世の中は誰が作っているのかというと言葉と反応だ。テレビなんてリアクションばっかり求められる。求められる態度をすればなんでも許してもらえるなんて演技だ。嘘つきだ。それで儲かるんだから大した話だ。それに比べて芸人は大変そうだ。彼らは話さなくちゃならないから、大変なんだ。突然ですが私結婚しまーすと言えば、その場が盛り上がるよね。だから、突然何かやってみればいい。神田から電車に飛び込んでみるとかね。今日は電車が大変だったみたいね。うちでも最近人身事故が近くであったから珍しいので現場まで言って近くの駐車場からボーッとみていたが何をしているのかと言えば、もう助ける気なんてさらさらなくてブルーシートで何やら線路の脇に置いて、はねられた地点から電車の停止地点までの距離を測っていたな。それがなんの役に立つのか知らないけれど。どのタイミングで入ってきたのかによるのかもね。死人にくちなしだから故意にはねられても何も言えない。でも電車に故意にはねられるってのも嫌な話だね。嫌だとか好きだとか狂ってる基準で物事を見すぎている。嫌いなことから学んで、好きなことはただの癒しにすぎないとしれば、学ぶことをやめた現代人はスイな言葉ばっかりで好きなことも飽きるくらいでしょ。とてもじゃないが耐えきれないぜ。