アウトプット

相手の視点に立ってみよう

アキレウスと亀

 エレア派はパルメニデスに始まるがその弟子ゼノンは彼自身何も主張することなく師匠であるパルメニデスの批判を論破していった。パルメニデスは動くものはないといった。ゼノンは帰謬法でこれを擁護する。

 帰謬法とは、人間は死ぬ。という命題を論証するために、人間は死なないと仮定して、死なない人間はいない。だから、人間は死なないという主張はおかしい。人間は死ぬんだという論証の仕方である。

 他にも、火に水をかけると消える、という命題を論証するのに、火に水をかけても消えないと仮定する。実際に水をかけると火は消える。火に水をかけても消えないというのは嘘だ。だから、火に水をかけると消えるということになる。

 術後の論証であるが、主語の論証にはなっていないのかもしれない。実は土に水をかけていたのかもしれない。死体を死ぬといっていたのかもしれない。

 死体を人間と呼ぶのならば、既に死んでいるのだから死ぬことはできない。アキレスが亀に追いつけないのは、アキレスが亀に追いつかないからだという命題に落ち着く。そういえば、あるものはある。ないものはないという命題があった。つまり、術後の否定を帰謬法ですることで主語の持つ性質も規定しているのかもしれない。

 実際にアキレスは動いていないのだ。