アウトプット

相手の視点に立ってみよう

言葉の世界に生きる 「モテる」とは期待されるということ。

 あまりにも現実が辛い時は、言葉の世界に逃げる。言葉の世界は自由だ。そこがいい。りんごがあるといえばある。ないといえばない。それが言葉の世界。現実はそうはいかない。りんごを買いに行かなくちゃならない。その面倒を省いてくれるのが言葉の世界だ。愛しているよと言う便利な言葉がなければ、毎日贈り物をしなくてはならない。それは大変だろう。だから、言葉の世界があるのだ。その代わりに、贈り物は一切送らないことになってしまいかねない。

 言葉の世界にいきるとは、言葉を現実感覚をもって受け取ることだ。痛いと書いてあれば、痛いという感覚を脳内に発生させる努力をしなければならない。慣れてくると、痛いなんて言葉を文脈で捉えてその意味を考える始める。痛いっと主人公が言ったけれども、本当だろうか、本当は痛くないのではないだろうか、心が痛いということだろうか、それともお腹が痛いのだろうか・・・そうこう考えているうちにオリジナルな世界ができる。一冊の本を読んで別の世界が波及して生まれてくる。それがいいんじゃない。だって、みなが同じ感想を持つことなんてありえない。なぜならば、皆が同じではないからだ。なのに、友達だとか恋人だとか性格があった人だとかを探す。そんな人いないのに。完全ではなくても、少しは性格があった人がいいという。そんな世界だから、人間同士では上手くいかない。婚姻届を出して、互いに愛し合った事実を公的に言葉によって保障させなければならない。どこまでいっても男は言葉の世界を彷徨い歩いているなと思わずにはいられない。だって、女はオーガズムが最高の快楽なんだもん。男だってオーガズム迎えるのは好きだが、そこまでの快感ではない。だから、美人だとか、婦警だとか、いろいろオーガズムを迎えるにあたった付加価値をつけたがる。野外プレイ、SMプレイ、セフレが1000人とか、女はみんな俺のセフレだとか。そうやって、付加価値を自分なりにつけて興奮して射精するのが男。女はオーガズムに達するために付加価値をつける必要がそこまでないような気がする。言葉の世界の付加価値をね。もちろん、上手いやつがいい。でも、べつにそいつが官僚であろうと、年収3億であろうと関係ない。ただ、居心地の良い環境をつくってくれればそれでいいのだ。年収3億はそれをしてくれる期待を女がもてるといういみで、その男は「もてる」のだ。したがって、モテるとは、期待されるということなのかな。