アウトプット

相手の視点に立ってみよう

複雑性

 世の中複雑だ。そもそも世の中があるのなら、なおさら複雑だ。そこで便利性がもとめられる。スマホで決算できれば便利だ。スマホで恋人が探せれば便利だ。スマホが恋人になればなおさら便利だ。

 便利を追求し、無駄をなくす。隙間時間で好きなことをする。さて、何をしますか?ってはなし。

 釣り人同士の話。君は儲けて何をするんだい。儲けて働かないようにするんだい。そうして、釣りをするんだい。今その釣りをしているじゃないか。

 要するに、今していることを愛すればいいじゃないか。メディアは将来のために生きる人たちを量産して、今を蔑ろにしている。勉強を推奨するメディアなんて聞いたことがない。今が楽しいという感覚は大事だ。それによって人間は精神的にも安定する。児童虐待だとか殺人だとか、社会問題を取り上げて闇を暴露するのもいいけれども、そうじゃない人間のことも考えて欲しい。私たちが虐待もされず、殺人にも巻き込まれないからそうして問題にしたがるのだ。問題、問題と騒ぐけれども、加害者を責めても何もならない。虐待している親への社会的制裁という不安感を与え、ますます子供にぶち当たりかねない。世の中には昭和の感覚で子供を養っている人間もいるということだろう。虐待を止めることは私にはできない。周囲に虐待をしている親もいないし、そんな人間関係もないから。だから、虐待はよくない、虐待すれば子供もまた虐待をするようになる、としか言えない。その程度のことしかできない。そこがいいんじゃない。

 虐待された子供がどうなるのか、そこまで社会が面倒を見るのは無駄だ。無駄なことは不経済だから公務員がしなくてはいけない仕事だ。無駄なことをするのが公務員だ。道路を整備しながらも、地産地消を推進する。それが国家だ。要するに矛盾しているのだ。

 でも、矛盾しているのが世の中だから特段違和感も覚えない。そもそも、何が無駄で何が無駄ではないのか。それさえ、曖昧だ。霞みがかったところで、白い霧の濃度の濃い場所で隠れながら何をしても別にいいのだ。ばれなければ何でもできる。でも、バレるからやらない。