2019-02-19から1日間の記事一覧
このブログのタイトルはアウトプットであるが、何でもかんでも書いてみたところで得られる収穫は思いの外少ないのだ。なんでも書いてしまうと、結局は言葉を修飾する機会を失って単純な言葉に変換しなくちゃならない。「くそ」だとか「しね」だとか「ばか」…
丸善の本屋に行ったら膨大な量の洋書がずらりと並んでいる。丸の内の丸善の他に洋書を扱っているのは八重洲ブックセンターであるが、そちらも良いのかもしれないが、丸善の方が規模が大きいように感じた。天井まで届く棚にびっしり並べられた洋書を読むこと…
見てて清々しかった。血の出ない生産の事件が毎年起こっているけれどすぐに忘れるような時代だ。自分が死んだとしても何も思わないのだろう。それならば毎日をかけがえのない1日だと信じないから顔も必然死んだような顔になってくるのである。タイから帰っ…
えらい人に会うと自分がちっぽけに思えるからえらい人には合わないようにした方がいい。その人がえらいと思うのはその人をえらいと思う人たちであって、私はえらい謎とちっとも思っていないことに気づくべきなのだ。私が書くべきではない文章は、告白文だ。…
徒然なるままさにパソコンに向かいて思っていることを書いてみると、やばい。やばいことを思っているのか。書いてみなくちゃわからない。自分が何を考えどうしたいのかを言いたくないということが存分に伝わってくる。いろんなことについて何もコメントした…
ちんたらどうでもいい文章を載せまくって何がしたいのかさっぱりわかりません。昔は筆で文字を書いたからだいぶ書くのが遅かったらしいけれど、今は、こうしてパソコンでキーボード何も見ないで打てるからね文字の質も文章の質もだいぶ下がってきている今日…
どうすればいいのか、わかったのだ。世間について語るのをやめよう。そのほかに世間を遠ざける方法がないのだ。
西洋哲学っていうけどさ、広すぎるんだよ。凝縮しちまおう。「言葉に頼って事故を自己あらしめる魔術」これが西洋哲学の狙いだろ。いっつも、自分の存在を疑ってる。相手の存在を疑ってる。猜疑心の塊。本気で疑えば全てうたかた、泡のようなものなのによ。…
ラカンに悩みを説明してもらった。それで、解決したのかと言われれば解決した。しかし、何かをする時に彼の理論を思い出す。自分のことを人間は話すことができないという呪いをかけられてしまった。だから、何か好きなことがあってもそれは他人の欲望である…
プラトンは、ソクラテスの弟子である。ソクラテスは何も書かなかったので、彼についてのお話は弟子のプラトンが書いたものの中に存在する。だから、ソクラテスが本当にいたのかどうかわからない。少なくとも、当時別の人の書いたものの中にもソクラテスと言…
もう、私には彼らと付き合うために時間を割くことはしない。彼らとは、ネットの記事に突き動かされている連中である。どうでもいい記事を題材に論評し避難し笑ってすごく。笑ってしまえばいい。どうでもいいのだ。刹那的だから次のハプニングを待っている。…