アウトプット

相手の視点に立ってみよう

性格のいい人なんていないんだよ

 溢れ出ているか元気があるか、そうでないとしたら意図的に静かにしている事を相手に知らせる為に知的な雰囲気を醸し出す過それしかないんだよ。あふれでることばのなかにあいてをひきこむだけのちょっとしたすじみちともっともらしさのヘドロにうずもれていれば人間は満足したかのようにまた錯覚しているかのように生きる事が出来るのだ。それは幸せであるように生きるんと同じ事で確かにその人は仕合せであるのだ。しあわせをのぞむことすらおっくうであるわけじゃない。幸せの構造人間精神の陥り安逸な錯覚を拒否してしまい本物を求めようとし、例え手に入らないとしても本物を求めようとする事が大切なのである。ああ、私は生きた。精一杯他人の力を借りながら間また自分ではこれはただの挨拶程度にしか思っちゃ折らず、増して、生きるなぞなぜわざわざ生きなくちゃならないのだという。生きたくないのなら死ねばいいという。死ねばいいというけれど、生きるのが嫌だからといって死ねばいいというのは間違っている。リンゴが嫌いなら死ねといっているようなものだ。生きる事とりんごを同じレベルでしか扱えない。どのような人生も一つの習慣になるのだ。リンゴを食べるのも習慣だ。生きる事だ。何が違うというのか私には分からない。ただ人ついえる事は、私は賢くなかったしそのぶんに苦労もしたがつまらないことを気にせずにすごせたということだ。結局はどんな人生であってもかわらないのだ。そう思えてきたら勉強なんぞわざわざする必要もなくなってくるように思われる。しかし、それではいけない。勉強とは別に苦しい事じゃないのだから。その辺が分からない人達とつるむことこそ苦痛である。