アウトプット

相手の視点に立ってみよう

日記なんだから好きな事書けばいいのに、何か説教を垂れ流すバカがいるけれども。

 彼らは説教を垂れ流しながら自慢話を展開する人間であることを、私は文章からどうしても嗅ぎ取ってしまう。俺の嗅覚が狂っているのならその狂いさえ俺は愛さなくちゃ、一体全体誰が俺を愛してくれるというのか。おっと話が飛びすぎたと君は言うかい?僕は言わない。文章ってのは相手に理解されるよりも大事な事が或る其れは自己に誠実であるという事だ。其れなしに、相手に理解される文章共感される文章を大量に量産する事が苦痛であるという事実に目をつむり、ひいては相手に気に入られる為に思ってもいない事をいうようになる人間のどこに、その成熟があるのだろうか。もちろん、相手に迎合してみる事で味わわれるものもあるだろうけれども、そんなものは相手の楽しみを窃盗した事とかわらいない。相手の楽しみを自分の物にして内面化することは、ただ、相手の価値観をそのまま奪い去っただけである。しかし、内面化されても一時的な物で長続きしない。なぜならば、それは私の問題意識から生じた問いへの答え出ないからだ。自分の物ではないから愛せない。捨て去る。 

 自慢話になんとコメントすればいいのか、それはおめでとうといっていやることだろう。しかし、飽きた。だから、書いてやった。犯してやった。それだけだ。