アウトプット

相手の視点に立ってみよう

コーヒー臭い口臭に目が覚めて、備考に漂う臭気に絶望を感じて

 絶望とは望みがないことではなくて、望みをいだけないことだ。望みを抱けないのはいいことかもしれない。渇望することがないから。しかし、行動することもなくなるのだ。行動を強いられる昨今の現代病を私は罹患しないで社会に置いていきのびることは決して出来ないのだから。私は私の言葉で私を手名付けたいのだ。誰かがいないことで、私が迎合するような人間にはなりたくない。誰かの舌を信用して己の舌を信用しない人間にはなりたくないのだ。私は何も知らない、世界の成り立ちも社会の構図も社会問題が解決される見込みが有るのかも、解決されるとしてそれが人々の納得のいくかたりであるのかないのか。私は知らない、大学が恐ろしく単位をくれないことが何故なのか。出席率なのか。出席率はその人の生活を評価しているのだろう。僕は僕の人生を評価してもらいたいのだろう。そしたら、すこしは安心して暮らせるというのに。私はファザコンやマザコンに極度に陥りその欠如を見つめる恐怖や疲れから解放されているからすこしは気が楽なのかもしれない。しかし、人間恐怖が金になるという。だから、彼女は先生になる為にいろんなことを自立しないでやっているのだろう。考えないことがはたしていいことなのか。考えないとは受け入れるということであり、感じるということだ。感受性も豊かならそこに深淵をのぞかない人はいない。不幸な人を救いたいけれども其れが僕には出来ないのは恐ろしい。なぜならば、それは私が不幸な時誰も私を助けてくれることが出来ないことをになるのだから。私は自分の出来ることしか相手に求めないし。私が感じられないことを相手に感じさせようとすることはできない。もし君が幸せになりたいのなら、不幸な人を見つけてきてその人を批判すればいい。その人の考えを学び、それを禁じ手として生きればいい。自殺したい人が家に籠りきりでいる場合は、家の外に出ればいい。そんなやり方で、幸せになったところで私はなんともおもわない。思いたくもない、努力の成果が金に換言されることを私は決して喜ばない。金で女を帰るのだ。努力の結果女を風俗で買って、そんなことのために努力することが私には徒労である。そんなこと私には動機にならない。いくら高い給料を呈示されても仕事がつまらないんじゃやりたくない。そんなもんだろう人間ってのは。だから、大事なのはやっていて楽しい仕事だ。僕は欧米人に仕事の観念を学びたい。日本人は仕事がまるで儀式だ。国を運呈する為だとか、書類作りだとか。この国を存続させるのは社会福祉以上に何か崇高な名誉があるだろうか。近代において国家の干渉減ることは秩序の崩壊を作り出すし、また、個人が秩序の中をいきることができる。代わりに、一体感とやらは失われてばかりだ。一体感は原初の母と子の包容の中にある。私は過度のマザコン過度のファザコンが近代だと思う。また、親の子への干渉がすさまじいのだ。だから、マザコンファザコンか過度になってしまうのだ。過度になるというのは、個人的な欲望の為に多を犠牲にして生きる態度をいうのだけれど、また、過度の苦しみ悲しみを金に変換して生きることをいうのだ。ああ、お金とは嫌なことをさせるためにあるのだろうか。お金で幸せになる為には僕はお金を倹約するだけでは決して物足りないことも知っている。僕はもうおかしいのだ。ただ、学問をしたい。そして、その美しさを人に伝えたい。人に伝えるだけの魅力を私が学問に魅了されたように、私に魅了されてほしいのだ。それが私の生きる為に為すべきこと、私が死なない為に現世にとどまる唯一の動機唯一の杭なのである。それが、彼女によって、彼女との“幸福な家庭生活”を僕が望むようになってからおかしくなってしまった。もうこの人と結婚して幸福な生活を送れるのなら僕はそれでいいじゃないかと思うようになった。恋愛をもうしたくないのだ。楽しいけれども不安な恋愛を。むしり取られる、愛が欲望に取って代わる、それを僕は痛い程知っている。何も知らない痛みを退けた人達は痛みに対処することができなくなったときに、発狂するんだ。僕は死にたくない。ただ、あっさりさっぱりして何事にも執着することなく平明な言葉で物事を言い表して、たまには愛しもしたいのだ。僕は僕について語れない。自分がたりは他者を媒介してやっと自分になる。独り語りは世界について語っているのだ。世界の中で動く人間が私である。私は他者の認識なしには存在もしない。おそらくは私は世界を語りながら自己の出現を拒んでいるのだろう。だから、死にたいというのだ。死にたいというのは、おそらくは、あるべきところに私を葬り去ることにあるのだろう。誰か私のカウンセリングをして私に尊敬する人物を与えてくれ、その代わりに私はこの役にも立たないことに時間を使う神経を奪われると考えたら、私はもう自分の感覚がひたすら死へと向かい破滅に向かうことを恐れている。自分が怖いのである。自分が世界だとして世界が怖いのはつまりは其れをあらしめる。自分が怖いのだ。

 

 僕がね許せないのはね

 僕を捨ててね、誰かになろうとする人

 誰かはね、僕を捨てるんだ

 かわいそうな僕

 僕を捨てることで、何かを得る

 得る人もかわいそう

 捨てたくはなかったのだろうから

 捨てざる終えないとき

 捨てることでもっとよい得をてにするとき

 そのように頭の中で電卓がはたらいたとき

 得る人は僕を捨てるんだ、僕は捨てられて得る人に

 人生の悲しみをみるんだ、絶望もみるんだ

 楽しくて明るくて面白い人

 つまらなくて無口で何考えているか分からない人

 分からないのなら感じてほしい

 嫌悪感をいだかせるような人

 清潔感あふれる人

 並べてみればどちらも無理している

 無理しなくちゃ認められないのだろうと考える不幸な人

 でも、不幸だから幸福になれる

 よかったね、美人さん

 よかったね、オタク

 ぼくはね、緑茶を飲んで死にたいな

 あまいあまい青酸カリをお茶に溶かして

 香りはハーブの香り

 刺激を求める人は不幸になるよ

 やめちゃえよ、刺激を求めることを

 まだわからないのかな。

 いいかげんにしてほしい。

 感じたら美しさを穏やかさをほんのりした生活を

 高級マンションに高級カー高級料に高級なポジション

 どれもこれも見栄を張る為に

 他人の評価を得る為に

 奴隷になることだ

 また、人は奴隷の持っている物を欲しがるから

 奴隷を奴隷だと思えなくなる、目が曇る。

 人々は目が曇っていると信じたくない。

 自分は明る人だとか元気な人だとか思いたい

 だから、目をつむる。どんどん目が曇っていく。

 ああ、それは僕のことなのかな。

 死にたいね、君はそう思わないか。

 思わないか。もっと死にたくなったね。