アウトプット

相手の視点に立ってみよう

boring talking with girl friend is waste of time. they just lost their time with each other. it's fun for them. not for me.

 彼女と何故付き合っているのか考えたことがあるのだろうか。さみしいからだなんて嘘に決まっている。さみしさよりも自分の心地よさを奪われることの方が苦痛であるのは明白だからだ。何も考えないで親のコピーのような人生を生きてきたひねりのない愚純な方々はわからないだろう。もしくは一癖考えることがあるのだろう。彼らの考えというのは僕は理解できないのではなくて理解したくない。

 そして、理解とはなんなのかぼくにはわからない。気の利いたことをいってあげるだとか相手の話をきいてあげるだとかそれだけにすぎない。畢竟それだけにすぎない。さみしさから付き合う人間達は一生さみしさと付き合っていく敷かない。ぼくからは肉体がかけ離れている。なくたっていいとはおもわない。

 運命は女性である。運命に支配されているからといって運命に従っているようでは行けない。女性は乱暴者を好き好む。戦争は泣きながら反戦を訴える彼女達が生み出すのだ。わからないのだろうか。捨てればいいのに、戦争も反戦も捨てる敷かないのに。反戦を訴えることが一つのアイデンティティになってしまえば自然と戦争を呼び込むしかないのが人間である。

 僕が彼女にアイデンティティを渡してしまえば嫌でも彼女について考えることが自己について考える喜びとなり帰ってくるのだから。やりきれない。遠回り、媒介、間接的でなしに自己の理解はありえない。

 ところで、理解とは何だ。僕にはいっこうに分からない。理解という言葉で捉えようとしちゃいけない。理解とは丁寧な服従である。貴方は私の主張を飲み込みますか?yes!これが理解するということだ。機械の使い方を覚えるのも、女体を知り理解するのも振り回されているじゃないか。

 依存が招くのは破壊的芸術で敷かない。僕は文体に引きづりまわされている。きょうだって言葉がうまくいかない。あまりいい飽きると人は混乱してしまうみたいだ。楽しいことはずつあったほうがいいのかもしれない。お金がないとは実に幸せなことだ。先伸ばされた欲望の為に少ない欲望で時間を費やすことが出来る。人生という退屈な時間。退屈しのぎは疲れるものだ。

 何を老人のようなことを言っているのかと、私は私を殴りたくなる。早く答えを見つければいいんだ。答えなんてないけれど、言い切ってしまえばいい。それが貴方の答えの一つなんだから。あなたの声なんだから。僕の声。君の声。僕は引きづりまわされる為に彼女と付き合い、自己の抑圧から来る他者へ暴虐と痛々しさを開陳する芸術の為に彼女と付き合っているのだ。絶望はない。欲望はある。

 有名だからだとか、きれいだとか、かわいいだとか。根源の言葉をすぐに使いたがる。それ以上言葉が続かない人たちが会社に雇われてやりたくもない仕事の為に生きている。やりたい仕事に生きてもつらいことには変わりないのだろうけれども。僕はどう考えてもどうでもいいのだ。どうでもいいわけじゃないのに、すぐに嘘をつく。こんな私が私はめんどくさくて仕方がない。さっさと学校へ行けばいい。理由を見つけては行かないばかり。ノートに文章ばっかりかいている。役に立たないことがむしろ誇りであるかのようなカウンターカルチャーを実施している。役に立つことが如何につまらないことか、おもしろおかしくもないことなのかぼくは知っている。役に立たないことがなんともいらいらして人々に不快な思いをさせまた私はそれ固めに真面目な人が不快な思いをするのが嬉しくてしょうがないのだ。真面目な人間ってのは自分から逃げて他人に責任を押し付ける。他人は背負いたくもない勝手に押し付けられた責任に戸惑う。まだまだ僕の頭の痛みはとれないようだ。不健康なときに健康のありがたみを知るように、不幸のどん底に落ち込まないと幸福に憑いて僕は知ることが出来ないのだろう。幸福になりたい人間はなぜそこに気をつけないのか。幸福にいきようとする、あがきさえ不幸だし。まったく。幸福について考えたこともない人間達がいるのも僕は良く知っている。考えない人間達は感じようとする。感じようとして何か一つの泉をぶち当てようとする。みつかるはずもないのに。感じようとする自分の気まぐれを発見するだろう。気まぐれが芸術だとうぬぼれもするだろう。強さもない弱さを権威に変えて金をむしりとる乞食とかわりない。

 そしてなんと読みにくい文章だろう。読みにくい文章が出来上がる理由はたった一つである。それは、他者に読ませようと言う虚しい努力を放棄しているからなのだ。虚しい努力とはいってみるけれどもやっぱり誰かに読んでほしい自分がいるのも確かなのだ。自分は一人じゃないけれどもそれぞれの欲望が交差してせめぎあい葛藤するこの自分をなんと言い表せばいいのか僕は混乱さえ通り越してただ身体に突き刺さる矢の痛みを感じない振りをしているのだ。それはかっこつけでもない。鈍さでもない。僕は矛盾を愛している。