アウトプット

相手の視点に立ってみよう

沈黙について

 沈黙が安らぎになるのならば、ぼくは沈黙をかなぐりすてるだろう。安らぎとは停滞でありエネルギーの喪失である。やりたくないことをやり、それでも安らぎを得られればいいのだ。女というのは不思議だ。やつらは体力がことごとにないのだ。だから、なんだって数にはなる。数を勢いづけるだけの力にはなるけれども、彼女達の安らぎは男にとっては退屈きわまりないのだ。男はいつだって冒険んがしたいのだ。生きるか死ぬのかわからないところにいたいのだ。永遠に生き続けたいのは女の方だ。彼女達はどうして、そんなに安らぎを求めているのか。体力にあわない仕事をしているからだ。それでいて、彼女達は健康を求める。体力にあわない仕事をこなすことが出来る健康だ。やめっちまえ。くだらねえ健康なんかいらねえからやめっちまえばいいのだ。あまたのおかしくない正常な人間の陰湿さを僕は知っている。いやという程に目にしてきた。世の中で立派な人間ってのはそれだけ卑猥で弱くて卑俗で体したことはない。ただ、隠している嘘つきであるというだけの話だ。偉くなりたければ、嘘をつきまくることだ。それで、自己を見失うことのないことを僕は祈るが。そもそも、嘘をつくとは自己を見失い事を楽しむことなのだ。忘我とは、偉人のためにあるのだろう。彼らは忘我の為に日常生活のわずらわしい礼儀をかいていた。それで、楽しくすごせたのだ。ゴ林秀雄はもう他人に干渉することが嫌らしい。なのに、批評をするというのだからかわっている。しるかよ