アウトプット

相手の視点に立ってみよう

症状

 僕は別に今気持ちが悪いわけでもお腹が痛くてどうしようもないわけではない、ただぼくは国外へ逃亡するのだ。楽しもうという気持ちはあっちからやってくることを僕は望むよ。元気しかないのだから、タイ人がどんな人たちなのかわからないけれど、ある程度こちらでどんな人間かをイメージしておかないと気が済まないようになっている。異文化交流というが、要するに黙ってあっちのやり方を真似すればいいって話なのだ。変なこだわりがないぶんに、私は長続きはしないところがあるのかもしれない。マニアックのオタクのように、ある一つの物事に集中してしまう事は、ないわけではない。僕が知らない趣味を持っている人たちが僕を見れば、視野の狭い人に見えるだろう。そのくらいの了見はついている。毎日日記をつけようと思う。できるだけ速記で書かなくちゃ僕が生きている事への喜びさえ忘れてしまいそうだから。しかし、後から読み返すことがほとんどない日記を書いても意味があるのかと問いかける意味論者がいる。意味とは要するに、内容だろうが、内容が伴おうと伴わないとも、その文章を読み続けるだけの形を持っていれば十分である。本を読まなくちゃならない。僕がタイを訪れるためには。僕が幸せになるためには、まず不幸せを通過しなくちゃならない。しかもできるだけ小さい不幸せを大きな不幸せだと思って暮らさなくちゃならない。幸せになるのは難しい。生理的に幸せを求めないように人間はできているのかもしれない。誰が作ったのかは知らないけれど、それを母だと言ってみたりして、母への過剰の思いやりと過剰の思い込みを捨て去ったりまたは母がそれを利用したりと、実に面白い。こうまで、自分がない人たちが増えてしまった。