アウトプット

相手の視点に立ってみよう

love

 いいな、いつだって僕は自由だ。誰かが僕を怒っている時、僕にイラついている時、僕は笑う。面白くてしょうがないわけじゃない、この世界の何かを見た気がして、それが何かを問い詰めるだけの余裕もない。そして嘆く。君たちの苛立ちは君たち地震から発せられているのだと。怒ったところで何にもならない。イライラしている方が一番ストレスだ。だから僕は嫌われるのだろう。イライラの種である。そして、僕は幸せだ。幸せな家庭よりも二人の生活がすでに幸せなんだ。君のために僕が生きている感じがする。それを世間は怪しがるだろう。一体世間が正しかったことなど、世間の言うことを聞いて幸せな担った人間なんていないだろう。でも、間違っちゃいない。僕たちは幸せなんても求めちゃいないんだから。考えてもごらんよ、水を飲んでる人は渇きを知らない、簡単なことさ。それがわからないんだ。いいんだよ、みんなって言葉が僕は嫌いだけれども、社会に僕をつなげるためには、また語感からしてみてたまにはいい響きを放つこともある。社会ってのは一向に僕は嫌いになっちゃったけれども、便利だからすぐに使っちゃう言葉だね。言葉を解析するソフトがあるみたいだけれども、役に立たないね。でも、間違って欲しくないのは役に立つからいいってわけじゃないってこと。いいってわけじゃないくて、安心するんだよね。みんなと同じがやっぱりいいんだ。でも、不満もあるんだ。なんで一緒なんだってね。僕なんて違いすぎて、それも傲慢な言い草で彼女はそのことで気にやむことがあるのかもしれないと思いながら、僕は思うんだ、違いすぎてそれでいて孤独。孤独で自由で今日だって百八十キロ出した。いつ死んでもおかしくないバイク。でも僕は僕のバイクとたくさん旅をしてきてそれなりに友情も育んできたから、そう簡単には壊し養いさ。面倒もみるさ。そういうところを今日は彼女に褒められた。そう。褒められた。昔のものを大事にするところがいいってさ。僕は昔のことが好きだったけれど彼女といるようになって今も大切にするようにした。今流行っている音楽だとか、場所だとか。彼女が教えてくれた。ぼくは過度に押し付けられないようにただ黙々生きているだけだ。いろんな見方があってもいい、彼女は乙女座で僕は雄羊さだ。占いで見てもいいし、兄弟構成で見てもいい。言葉を分析してみてもいいし、趣味から入ってもいい。どれか一つに権威を持ち出すのがいけないんだ。男は一つに縛りたがるけれども。女はいろいろ手を出してみるのが好きだから。それは、男女の違いとして尊重されるべきだと思うんだ。お互いのためにね。ダンディズムの立場からは僕の言葉は全くもって意味をなさない。男は女を守らなくちゃならない。それを占有していると思い込んでいるのがダンディズムだ。かっこつけて、最後はにげるやつなんてたくさんいる。かっこもつけないけれども、逃げない奴もいる。だいたい自我が固まってきた頃に人間はつまらなく退屈になってしまう。生きるために生き。生きがいを失い。そして、死を選びもしよう。特に男に顕著な現象で、女は感受性の豊かさからくるのか脳みその使い過ぎからかあまり深く考えないでカルムダウンしようとする、またそれができる。男の喜びとして一箇所に力を加えることだとしたら、女の人の喜びは決して表現できない。まとめることが、それ自体に、一箇所に力を集約させることだから。彼女たちは常に分散であるし、常に同じところで深くものを見ている。いろいろな場所なんて生きたければ行ってもいいけれども。一箇所の場所で、それは客観的に男から見て、男と言っても僕は全世界の男を代表しているわけじゃないので、男である僕から見て、彼女たちは実に世界を色鮮やかに奏でる。僕たちは踊らされるしかないんだ。男の生き甲斐はそばにいることだし、もう一つは趣味を持つことだ。しかし、趣味さえいらなくなることもある。僕は今どうしようもない力と対話しているようだ。その名は時間である。多分、君の名は時間である。