アウトプット

相手の視点に立ってみよう

ホームページを作ったが

パソコンの画面上での出来事が現実世界を美的に上回ることがないので、実に時間の無駄である。ただ、コミュニケーションのツールもしくはお笑いのため人々とゆるいつながりを維持することに関しては良い効果を私にもたらすだろうとも考えてみたが、ないだろう。あまりパソコンに詳しくないというのは今や褒め言葉であるように思われる。パソコンなんぞ廃人と暇人のスクつであるからパソコンに関わる時間は勿体無い。何がもったいなくないのかはわからないけれど。それを言い出したらおしまいだという声もする。とにかく僕にはプログラミングはもう飽きたというのが事実だ。これを受け入れないと僕がひどい木の病に陥ってしまいそうだ。熱意がないのだ。調べようだとか面白がらせようだとかの熱意がないのだ。ふと頭に浮かぶことがあるが楽しくはない。楽しくしているときは案外はたから見れば熱中していることの裏返しであり拙い感じを与えるものである。そういう見栄から解放された人間こそ自由であると言える。自由とは自由であることを忘れている人間に甘美な響きを持たせる。私は自分の言葉を信じているだろうか。考えるというのがどれだけ素晴らしいこと。いったい体を動かすことがなぜこんなにも素晴らしいことなのか知るべきであるように思われる。私にはプログラミングはもう付き合いきれない趣味なのだ。正直言えば人間関係もめんどくさいと思えるようになってきた。多少の私のわがままも見過ごせるくらいのゆとりを持った人でなくちゃ私と今付き合おうとは思わないであろう。むしろ、私と付き合えないということは心のゆとりが失われた危うい状況にあるわけだから本人は私から離れることでなお一層僧侶することになり人生を苦しみの中に生きることになるだろう。なにもこれは叙述的言葉ではないように祈ろう。そう聞こえるのは至極もっともなことである。自分に近寄るものにはよくして離れるものには、真冬にかかわらずホッカイロさえ持たせないような気負いである。