アウトプット

相手の視点に立ってみよう

今日のこと

 フランス語の試験がうまくいかなかった。意識を殺して授業をやり過ごした。高笑いが聞こえる。隣の奴が俺と組んでうまくいかなかったからとやり直した。先生も気を使った。疲れる。気を使われると疲れる。スルー力と叫んでいたのは昔のこと。今はもう何も言葉が心に引っかからない。書くことはたくさんあるはずなのに、書けない。意見を書かないで済まそうとしている。距離感を失い記憶力も著しく悪くなる。ある一つのところへ行けばいいのに、それを阻止する何かがある。それがなにか私はわかっているが、口に出したくない。

 末っ子は嫌いだ。甘えん坊だし、感謝を知らない。乞食のようだ。見窄らしく貪欲で怠慢、おまけに臆病。すべての末っ子に言える。だから嫌いだ。死ぬことの何が惜しい。

 自分の意見を吟味した。何も言えない。法律は守るべきだが、破ることだってある。ほら、停止線を超えた。法律を守っているかいないか。それを判断するのは警察か自分か。公的に制裁を食らうのは警察の目の前。先週の日曜、直進道路に車線変更できず左折レーンへ。信号変わり交差点に進入して直進。交番のお巡りが笛を吹いた。タクシーをすり抜け公園にバイクを止めた。バカな警官だと思っただろうか。つまり、私は何を考えているのか。私流に考えるのが個人主義じゃないか。しかし、ざまみろアホと警官に思うのは違う気がした。感じないのだ。感じないようにしているのだ。そうじゃなくちゃ何も務まらない。私は不真面目だ。そう見られても構わない。皆の顔が生き生きとしていたり、死んでいたり見える。何を考えているのか。今、私は人と話したくない。余裕の無さよりも人からの差別を感じる。世の中の大部分から外れた軌道を走っている。合流しても大していいことはないのもわかる。要は、天国から帰って娑婆に帰ったような。

 日本も外国も変わらない。人がいる。人がいれば挨拶をする。挨拶だけが純粋な気持ちだ。それ以外は意図がある。面白くない。世の中が面白くないのか私の前頭葉のせいにして自分を苦しめるか。お風呂に入らないのが悪いのだろうか。難しい質問に答えた気にならないのだ。私は先生の授業の答えを書くつもりはないのだ。ああ、では何を書くというのだ。私を突き動かしているのは、倦怠感からの恐怖か。わからぬ。ただ、今私は顔色も悪く体の元気も失われている。快活さはなくなり、日々に埋没して何もない日々を何もない顔で過ごしている。思考は停止し。テレビとネットの情報を鵜呑みにし。世の中の変化に敏感で、日常生活では花に水をやり忘れかれているのも気が付かない。メディアは自由を奪った。否、国民が捧げた。政治的平和の実現のために、花を忘れるのだ。国民は搾取されていると感じるのだ。政府は国益のために国民を搾取するのだ。先生はただ従うべき対象で時には良き友人のようだ。友人の話は面白くなくても笑えるものだ。テレビは、つまらないつまらないといいながらも見るのだ。ネットは、何を検索すればいいのかを検索するのだ。電車は黙々と私の体を箱に閉じ込めて何処かへ送り飛ばすのだ。ああ、悲しい日々よ。私はどうして未来を捨ててしまったのか。田舎の暗闇に映える緑よ。聞こえてくる電車の音。お腹を壊しそうな冷たい冷房。人と喋りたくないという本気の嘆き。特に学生の画一的な側面。学問は自分のためにするもの。私は鬱だろう。おそらく。何をしても喜びが感じられないのだ。禁じられたことをしない限りはね。