アウトプット

相手の視点に立ってみよう

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 私たちが日々目にしているのは、マスコミの力の無さであろう。マスコミの前で人はよくしゃべる。自分の言葉が生に受け取れるのだ。マスコミを通して自らを見出すのだ。マスコミは世間である。世間に受け入れられるのが、幸せじゃないか。酸いも甘いも幸福に還元される。悲しくないのに泣いたり、面白くないのに笑ったり。嘘ばかりついて、人間関係を維持する。嘘が言えないのなら、寂しく一人事実と眠る。事実は人間の数だけある。しかも、人間の数よりも多い。言葉は、纏めるためにある。本来散らばる人間を言葉が束ねる。

 

事故告白の文章がなぜ難しいのか。自分を偽る言葉を多く使うのはなぜか。言葉が氾濫しているからか。玉石混交の言葉の中で自らの言葉は石にも宝石にもなる。時代の病か。病は根源的だ。毎日人間は病んでいる。虚しさだけが本当の気持ちだろう。楽しさも情熱も全て外からやってくる。自己から発生するのは虚しさだけだ。その虚しさの風の心地よさよ。

 

一人よがりになれるものか。言葉は事実を伝えない。言葉に意味はない。意味は自らが発生させるのだ。他が動いて自らも動く。自発性など夢だ。他が動いているのを見る目を養えるだけだ。

 

自己は退屈だ。しかし、楽しみも自己から生ずる。自分を感じるために他人が必要だ。他人は食われる。私は他人に他人の鏡を見せる。お世辞を言って、他人を着飾らせるか。喜ばれるようなことをするのが私は大嫌いだ。結局は自己の快楽に耽る姿。

 

常に死にたいと思っている。常にいきたくないと思っている。負荷がかかるのではなくて、同じ負荷に飽き飽きしてそれに喜んだり悲しんだりする嘘が疲れる。本当のことを言えば人間は衝突する。血が流れる。嘘を言えば自分が死ぬ。結構なことだ。私は自分が死ぬ方が気が楽だ。これが平和を望む気持ちだというのか。

 

人間は運動では痩せないが、気をつかうとすぐ痩せる。