アウトプット

相手の視点に立ってみよう

 言いたいことを言えばいいじゃないか。バカみたいだ。漫才で、ウーマンラッシュアワーがネタしてた。評価はしないよ。だって、意味ないもん。俺が言いたいのって、俺との対話なんだよね。誰とも、対話できないような。従うか、従わせるのか。それくらいが、世の中だね。あいだにある、ルールがせめてものお互いを戦わせずにすむ境界線、壁だね。じぶんのことを、考えるのって、突き詰めるとすごくどうでもいい。まわりからどうみられているのか。それを考えて、演じる。それを感じるから、自分の気持ちをぶち壊してしまう。でも、自分の気持ちが強すぎるのも悪酔いの原因だから、周囲に人がいるってのは、行き過ぎることがなくなるから、ブレーキとしての役割はある。たしかに、アメリカでは政治ネタが受けるのだろう。それが、スタンダードなのだろう。しかし、政治が嫌いなアメリカ人にとっては、そんなお笑いはみたくもないのだろう。政治を意地でも好きじゃなくちゃいけないのもおかしい。いな、「国民」であるからには、この枠にとらわれて、政治をしなくちゃならない。縛りが多すぎる。「国民」として、沖縄の基地問題を考える。たしかに、沖縄は日本国領土である、と考えると、少し違和感もある。沖縄はアメリカ軍基地で潤っているわけだ。思いやりで予算を与えるのも、米軍が入れ替わり立ち替わりいるほうが経済的にもいいからであろう。そして、果たして、沖縄は日本であるほうがよかったのかわからない。アメリカが駐留して経済も潤い、日本のつまらないしきたりや礼儀に縛られないで済むのならば、沖縄は、アメリカがいることで日本的な、わずらわしさを許されている面がある。好きなことをして生きて入られる。沖縄は、日本。そうだろうか?沖縄は、日本じゃなくちゃいけないのか。日本であってもなくても、沖縄を大事にすりゃいい。しかし、ドライに考えれば、どこかの国から攻められるという、不安に駆りたてられて、アメリカと日本、両方に守られている沖縄は、最強じゃなかろうか。日本国領土もまた、アメリカに守られる予定だが、沖縄に守られるわけではない。戦争を起こした人間がのさばっていた、戦時中、アメリカがやってきて、そいつらをどこかへやった。もちろん、許すこともできただろう。でも、無理だった。この国の人間というが、人間は千差万別である。特に政治は、利益を誘導する。いかに税金を自分の懐と結びつけるか。サラリーマン政治家では、その上のお坊ちゃん政治家を超えられない。金は、お坊ちゃんの方にあるのだ。だれも、世の中を良くしようとは思わない。自分を変えようとはするけれども、世の中に合わせて変えようとするばかりだ。世の中を変えようとするように自分を変えようとするとどうだろうか。ある芸人は、毎日五十円で雇われて、食って寝ている。地球がひとつの家であるようだと言っていた。もちろん、ふつうの家庭もあるだろうし、普通じゃない家庭で寂し沙紛れに五十円で人を1日買った人間もいるのだろう、そんな人にあるのも、縁である。いかにすぐれていたものがあっても、結び付ける縁がなければ、互いに知ることもない。何も知ることはないのだ。世を冷静に俯瞰して分析するのは、死んだ人間のやることだ。血が通ってもいない。そこに感情はない。理性を超えたときの、感情なりルールがない。だから、どうでもいいのだ。ほんとうに。どうでもいい。