アウトプット

相手の視点に立ってみよう

定言命法!

 君がセックスさせてくれるんなら、いくらだって優しくなるよ。だって、セックスする相手がいないなんて、男としてだらしないじゃないか。誰からも必要とされていない人間になんかなりたくないね。そんな人間ないなんていうけど、そんな風に思ってる奴は少ないし、そういう人間に、みんな仲良くなんていってもしょうがないからね。俺は怒りが大の苦手でね、自分で自分の首を絞めるマゾヒスティックな行為に思えるんだ。俺は、マゾじゃないからね。というわけで、大嫌いなんだ、言葉を吐く人間が。言葉は常に人を惑わし、人を迷いの道に誘い、そして、言葉をさらに必要とする。必要のないものを買って、必要なものだという感覚に陥る。ものなんていくらあってもないようなものだ。必要ないのだもの。いろんなバイクに乗っているっていうのは、ステータスだし、そういう環境にいるのだから、それが普通な人間もいる、それを利用して、記事を書いてちっぽけなお小遣いを手にする人間もいるだろう。ちっとも、憧れない。それよりも、ボロボロのバイクで世界を相手に、シベリアから、砂漠まで走り回っている男に憧れる。それこそ、バイクに興味があるのではなくて、バイクはやっぱり友人なのであり、決して、バイクは尊敬するべき相手じゃないのだ。師匠でもなければ、暴れ馬でもない、わがままな女ならいくらでもいるのに、バイクにそんなわがままな女を求めるのは行き過ぎている。過剰におかしくなってる。自分の体が痛くなるようなバイクに乗って、それに酔いしれている人間に何を言っても無駄。僻みでしかない。どうこう言う事ではないが、世の中にaとbがあって、aがダメだから、それならbでしょ、とはならない。cdefgを忘れてもらっちゃ困るんだ。世界は広い、バイクは自分が好きなバイクに乗ればいい。そして、可愛がる事だ。ツーリングが終わったら、ありがとうと言うべきだし、バイクを洗車していなかったら、申し訳ない気持ちにならなくちゃならない。そういうライダーじゃないと、常に、バイクの音がどうのこうのとか快適であるとか、加速が素晴らしいとか、そりゃ結構な話だけれども、バイクの性能を離れたところで、バイクを好きになれるのかというのは大事だと思う。本当に。バイクは友達だ、毎日乗るのはしんどい。友達とたまにあって、相棒を毎日こき使って、怒りをぶつけて受け止められないとバイクが判断すればコーナーでバイクが転倒しガードレールに身を投げるだけの話。一体全体。バイクのどこが楽しいのかと問われれば、バイクとの一体感なんだ。自分の体の一部になったような感覚。それが、楽しい。理由なんて必要ない。どの理由も、本当だし嘘だから。ああだこうだいいながら、迷って迷ってやっぱりあなたが好き。