アウトプット

相手の視点に立ってみよう

馬鹿になっちゃったー

 なんかゆるいよね、日本。テレビばっかり見てるからかな。テレビなんか本当はみたくないんだけど。しかたないよね。理由は、書かないよ。プライベートなことだもん。それにしても、ゆるい。同調圧力ここに極まれり。今日はうんと暑い。外に出たくない。髪の毛が多くて頭が暑いから。外に出るとイライラする。でも、お腹が冷えると下痢しそうで怖い。お腹を壊すのが一番嫌だ。我慢できない時は脱糞するしかないんだ。しくしく。涙で喉が渇いたよ。水をくれ。水をくれ。壊れるにも悪くない。みんなも壊れればなおさら悪くない。きちがいが増えれば、生きやすくなる。人に迷惑をかけるなという人もいれば、迷惑をかければ金が儲かるという輩もいる。どちらにも軍配を上げて差し上げよう。ただし、苦しむのには変わらない。どういうことかな。世界はどうも、ゆるくなっている。冷えたお腹のように。いつ、トイレに行きたくなるのかわからない不安。それが、うんだかんだ病だと言われても納得などしちゃいけない。医者に命名されて喜ぶようじゃまだ不自由だ。自由は春の野原にそよぐ風だ。君たちは、どう生きる。嫌なことをし続けて不満顔で生きるがいい。俺はまともだと胸を張って常識という強固な壁の中ぬくぬくと外の様子も知らずに妄想に明け暮れて女の子とセックスもできずに死んでいくがいい。君たちはどう生きるか。勉強もせずテレビばかり見てセックス三昧に土日は金を湯水のように使い明日は明日の風が吹く、金を出さない江戸っ子の宵越しに付き合うがいい。人生は、すぐに過ぎ去ってしまう。あれもこれもしようと考えているうちに人生は過ぎてしまう。同じ日々を送っている人たちはまるで卒業のない小学生みたい。同じように考えて、同じように怒り狂い、そして、死んでいく。いつしかそれを伝統という。すっからかんを伝統という。もはや、伝統という言葉に力はない。しがらみとあきらめが伝統にはある。こうしてまったりと、好きなこともできず、たまに楽しいことがあるとちょっぴり嬉しい。それくらいが人生だと。大井田とか少ないだとかもない。日々を生きるのだ。変化などしなくていい。今が一番いいんだから。余計なことは考えるな。中世という時代から、学ぶこと少なき現代人は何も学ばない。学問は停滞し、新発見は避けられ自由は妄想は精神障害者となる。皆が精神障害者になれるのに、病的で頑迷な人間という人格の完成に終始している。それが今起きている事態だ。まるで中世のようだとは言わない。中世に生きた人間の頑迷さ。孤独が自由になる。集団はもはや、集団としての機能を十分に発揮して、集団の根底にある安定という名の不安を基礎に置いた恐怖を用いた統率を、例えば仲間はずれであったり、例えば老後の不安であったり、例えばホームレス恐怖症だ、それらを利用して集団は概ね自然に形成される。指導者は、憂いている。空に太陽が燦々と降り注いでいるのに、サングラスをかけて世界は真っ暗だと嘆いている。真実を見るのがそんなに怖いか。僕は自分がある種の偏見で世界を構築しているのを知るべきだ。私は何も知らないということをまさに知るべきだ。年をとったから、若い人よりも何もかも知っているといううぬぼれこそ役に立たない。年の功は嘘っぱちだ。散々いじめられてへこたれた人間の遠吠え。生きる術を知らない、赤子のようだ。泣けば母親が寄ってくる、喚けば周囲が自分に合わせてくれる。対して変わらない。比喩としてはイマイチ。書いてげっそり。痩せちゃうかな、五月の後半。暑くてかなわない。髪を切らねば、死にたくもなる。そんな火曜の昼過ぎに授業をサボってこれを書く。