アウトプット

相手の視点に立ってみよう

 諦めの世界。一体全体ものを買う手段しか皆考えない。広告宣伝だ。いいものを売るんじゃない、相手を惑わせてものを買うんだ。消費者も賢くなった。しかし、今はバカになってる。金さえあれば、いつでもものを買うだろう。決してそれで自分が偉くなることなど微塵もないのにね。現代人は一人の時間を失って、周囲に常に警戒を払っている。話のネタも、すでに知っていることは話さなくていい。楽だ。しかし、苦痛だ。あまりにも。話すことと、知っていることは違うんだ。現代はやっぱりおかしい、いきにくい。楽だと思うのは錯覚だ。工場で働くよりも、外に出て走り回りたいのだ。そうだろう、現代人。走れば疲れるさ、車にはねられるかもしれない、急な悪天候で雷に打たれるかもしれない、でも、工場にいたらベルトコンベアーに乗った情報を食べるパン食い競争じゃないか。ぶくぶく太って、消化に血が回って頭はからっぽになるんだ。人間の理解ができるというのが、一番の間違いだ。相手に自由を与えよ、そして、相手と共感できないということに自由を見出せ。それを自由と呼ぶのか、距離感と呼ぶのか。おそらく、どちらでもある。風を吹かせよ。君の行為は、きっといつもの癖に縛られている。いつもの習慣の奴隷に成り下がっている。自由は、習慣からは生まれない。自由は、常識と同じ次元に立地しない。自由は、脱力して意味もなく相手を揺さぶり自分は喜ぶ、お笑いだ。大笑いだ。

 現代人は情報食べて太ってついには生活習慣病になり周囲にひれ伏し死んでいくのか。現代人は一人で生きられない社会において、ついに自由を孤独と読み込んで一人くじに食べる夜食を楽しみにビール片手に野球選手を応援することか。

 さて、自由よ、私を殺したまえ。私の心臓はすでに自由のまな板の上に置かれている。