アウトプット

相手の視点に立ってみよう

あれなんすよ

 いろんな人が頭のなkない思い浮かんでくるんだよね。じっとしていれば何か起こるんじゃないかって。ここでのルールとしてその善悪の判断はやめよう。と、書くこと自体矛盾しているんじゃないか。この問題点についてどう考えればいいのか。あくまでも、ルールは私の心の中にあり、滲み出るものなのかもしれない。私は、いい人間だと思っているから、いい振る舞いができる。といっちゃ、またつまらない記事を書くんだなーっと、ぼーっとしてりゃいいのに。べつに、なにかを取り繕ったりしなくていいのに。余計なものが多すぎるよ。情報だって、関係ないものはすてちゃえばいいんだ。ゴミ箱にね。散々、悪口言っても構わないよ。だって、関係ないもん。言葉の平板化。ネットのコミュニティーである問題提起がなされても、関係ないもん。無責任だって。ネットがなければ関わることもないような事件に、何を言えっていうんだよ。そこまで、暇じゃねーしつまらねーことに付き合ってられねえんだよ。鬱になるわ。

 ネットでみんながおんなじことを考えるようになる。予測ができるようになる。ネットだから、発言者にすぐにたどり着ける。ネットの誹謗中傷は、ネットにつきものだ。考えもしない、ろくに読みもしないのに目の前にはコメント欄が用意されている。刹那的に反応する。それだ。体験を、内面化するのは私自身なんだ。バタイユが読みたい。死体の錯乱の先に何をみるか。わたしが漂いたい世界は、こうした世界なのだ。すべてに理由がある。それが隠されている。理由のない出来事は何一つない。わたしの記憶が衰え始めたのも、私が心地よく生きるために無意識に仕組まれた機械仕掛けの運動に過ぎない。あれこれ言ってみたところで、そこに触れられない。

 なんというざま。いきているのが恥ずかしいと。そうも思えない。