アウトプット

相手の視点に立ってみよう

超客観的思考

 人間は無駄な生き物である。意味を見出す生き物である。野たれ死んだって構わない、世界の謎に興味がなくても構わない、ただ、それじゃただ豚である。結局、人間は絶望に光を見出す事になっている。反応こそが喜びである。だから、戦争も起こす。暴言もはく。全ては存在するための大前提だ。しかし、静かなる人々も確実に存在しているのだ。彼らに組織力がないダメ打ちのめされているだけだ。平和は退屈だ、争いは人間を協力的にさせ善意が全て認められる社会である。世界は今、報われないと考える人たちの被害妄想が蔓延して暴動が起き、自己主張はただの独りよがりとされ空気を読んだ物言いが本心をひた隠しにする。教師は淫らになり、政治家は税金を懐に入れ、企業は騙しあって互いに毒を飲ませ合う。善意者は押し売り、悪意が自然体と歓迎され学生は勉強をせず、子供は大人の金銭ゲームごっこにのめり込み、孫の教育のためだと老人は喜ぶ。まともとは、この様な状態を指す。良い時代なんてありえない。良い時代なんてない方がいい。そうに決まっている。弱者のよりどころは金でもない、知識でもない、道徳だ。道徳的に相手を貶める事しかできないものを弱者と呼ぶ。弱者はつながり合うが、忠誠心がないため金が手に入れば簡単に道徳を捨て去る。私の目に映る世界はあまり、気持ちの良い人たちばかりではないみたいだ。以上は全て私の感知する主観であり、客観を超えておりもはや、あきらめの状態である。私はただ、機嫌を損なわせない様に世界に片足を突っ込みながら死んだ顔で他人に不幸も幸福もおしなべて同じ顔で見ていたいのだ。喜びも悲しみにも動じないでいたい。感情の揺れ動きは不要だ。ただ、木偶の坊に血が流れている様に空気の様な流体で生きているのか、存在しているのか訳がわからない虚数の状態である。つまり、私は幽霊だ。