焦り
テストが近づいている。これを落とすと学校に入られなくなる。できるだけ、そのことについて考えないようにしている。しかし、考えようとすればするほどに頭に現れてくるのだろうから、ここにいっそ書いてみようと思う。別段俺が勉強しているのは、その必要があるわけで勉強の必要があるのは勉強ができていないからである。したがって、自分が学校にいることに引け目はない。
以上のことからすると、どうでもいいことばかりだ。人々は、正しいことをしていたのかもしれない。日々のニュースに反応して、意見を述べる。不倫をする芸能人が公共の場に出てくる。不倫を咎める。それで、不倫を嫌う自己を発見するのだ。
皆が各々が各々押し方でつながっているとするのが仏教なのである。皆、縁によってつながっている。隣の部屋の住人が何者か知らないが、きっとつながっているのだ。ベランダでタバコを吸えば、換気扇を通じてこちらの部屋に煙が侵入してくる。これも何かの縁である。それで、肺がんにでもなって死ねば、なおさら縁である。
言い訳がましいことは言いたくない。どうも、いけない。批判を先こして意見を述べるのは無理しないほうがいい。批判に飲み込まれて自己を失うのは滑稽ないことだから。批判は相手を褒める技術なのだ。相手を尊重する態度でしかないのだから、批判を相手の否定に受け取ってはならないのだ。