アウトプット

相手の視点に立ってみよう

つれづれ

 徒然なるままに、ひぐらしすずりにむかうにつれづれなるものをおもえば、なんちゃら。はいどうも。近頃は全然記憶ができなくてね、困ることも多々あるんですけれどもそれにも慣れてきまして言わなくてもいいことが世の中にはたくさんあるんだなと勉強させてもらっているわけですが、究極のところ世の中なんてことに雲泥することに疲れだけではなくて、どうでもいいという気持ちがそこはかとなくあるのを漠然と感じるようになりまして、そうしたら、だいぶ自由に生きられるようになるんではないかという感覚的な希望的観測を持っておりますゆえ、今後はどういう方針でものを書こうかと悩んでいる次第でありますが、そもそも何の方針もなく闇雲に思いついたことを書き続けるのがこのブログの強烈な魅力であるところ、それを存分に発揮してもらってこれからも何か怪しげな精神の持ち主であることを包み隠さず、特に世の中を意識することもなく、そして自分自身さえ意識しなくなったときにふと現れる美しく純粋な、いや、そのような言葉では全く言い表せないような気持ちを書いていこうと思うところであります。

 嫌に長い所信表明のようなことになってしまいました。だいたいこの辺で文章を終えるのが筋でありましょうが、それではつまらないのでちょっと自分の意識を自分から話す方法を考えてみました。考えるということ自体に不純物が数多くあるように感じられるのです。たとえば、政治的な発言は手垢にまみれているわけではありません。もし、ある人のことが好きならその人のどこが好きなのかなんてちっとも言えないはずなのです。もし、具体的に何が好きなのか、どこが好きなのかというとき、そこにあなたの好きな人は現れません。自分が想像しているキャラクターが存在しようとしているだけです。ひょっとしたら、相手にそれを強制させる可能性があることも否めません。したがって、と、まあ、結論らしいことを書きたいのですがここではそれを行ってしまったら面白くないので、では、と話を結論からもっと先延ばしにして、どうしたら人を好きになれるのかというと、やはり、自分が好きなタイプの人間を見つけることでしかないのです。アイドルを好きなのは自分のイメージを具現化してくれるからです。アイドル個人の本質的な性格がいかなるものであっても受け入れる場合、それはお遊びから信者に変わるのであります。そして、日本という国において信者は何よりも優先されるべき存在でありますから、好きな人の近くにいるためには神として崇めなくてはならないのです。今の日本人は、なんてはなしはどうでもいいのです。世の中のことを考えないように生きるにはどうすればいいのでしょうか。私はどうしても世の中のことを考えてしまうのです。非常にくだらないことです。やめましょうやめましょう。責任を放棄しましょう。もともと課された義務のようなものです。そんな議論さえもう飽きました。