アウトプット

相手の視点に立ってみよう

私の経験

 テレビでは役者が大麻で捕まった。彼は日本人。芸能人がひな壇に座って爆笑している。日本語で。彼らも日本人。本屋にはたくさんの日本語。書いたのは日本人。本を並べたのは日本人。おそらく。日本語がわからないと並べられない。

 日本人、日本人、日本人。日本という国籍を保有しているだけじゃダメみたい。特攻隊に志願してこそ日本人。納税だけでも不十分。みんなと仲良くしなくちゃ日本人じゃない。日本人、日本人、日本人。

 こうやって、日本人を狭めていくことが果たして日本人のためなのか。相変わらず不平不満が垂れ流されている。ネットではどうでもいいことをさも隕石があした地面に激突して地殻が剥ぎ取られ生命が一瞬で蒸発しまうというような表現さえも十分にできなくて、下痢便ばかりの記事が公衆トイレに細かくこびり付いた糞のような不快さでタイムラインに流れてくる。

 日本人さえ仮面のはず。その下では、中国が大好きアメリカが好きうんこは食べない。そんなこともできるはず。いかに、日本人らしく振る舞うのか。もし、日本人を掘り下げて本質を露呈させれば仮面としての日本人ではなく心底日本人にならなくてはならず、隠れる隙間がないのだ。日本人の本質は、日本人としての仮面を作り出すことだ。それが、相手に対して礼儀を尽くしたり忠義を果たしたりという行為だ。本人は自由方面で一切何もない心的な罪の意識を抱えることなく非道で残虐な行為をすることができる。だから、日本人という仮面が必要なのだ。近頃は仮面をつけていない「日本人」が多いと感じられるのだ。皆同じように考え笑泣いて人生を送る。これが日本人としての仮面だ。不倫、浮気、脱税、殺人、強盗、強姦、窃盗、虚偽、改竄、すべては日本人という仮面の下で行われる行為であり、ニュース報道でこれらの犯罪行為が報道され犯人が日本国籍を有していたとしても、彼彼女らを「日本人」とはみなさない。日本人としての仮面を被った上で犯罪行為はあり得ないのだ。それは、仮面を被れていないのだ。

 日本人という仮面を作るのに躍起になっている。その作業の必要性は、統率する内面的な動機がなく、外的な規範を内面化することもない、仮面のない日本人にとって不可能な行為であり、仮面の下での浮気、不倫といった欲望のはけ口をしっかりと確保しながらも仮面を被り品行公正さを保つ虚構の中を生きるためなのだ。

 日本人という仮面のもとに虚構を生きている。

 それは、アメリカ人も同じかもしれない。