いやだな
今日は曇りか。何と穏やかな。電車の音もそうそう聞こえない。素晴らしい。もう描けないのかな。奇妙な文章しか書けないのかな。公共性がないから自由に書けるかと思ったけれども、文体を忘れてしまったな。そんな時は、サリンジャーを読んで自分に言い聞かせるんだ。こいつらだって一応バカじゃない。俺だって、変な道を進んでいるように見えるけれど実は一番真っ当な道を進んでいるんじゃないかってね。そう考えると気が楽になるのならそう考えればいい。弁論氏が誰を説得するのかっていうと、自分自身なんだ。自分自身と対話して手術を終わらせるのだ。患者はただのノートに過ぎない。被告人も弁護士を出現させるためのmpでしかないのだ。もう、実際にそうなのだ。自己規定をした人間に、その人はなるのだ。何と恐ろしいことだろう。底抜けのバカが幸せに見えることがあるとすれば、彼らを貶めるようなことをしてやればいい。良心が咎めない範囲においてね。そんなことはできない。良心を欺くのはそう容易いことではないからだ。良心なんて、あるのかないのかの存在論の話はしたくないんだ。殺人をした人間が、自分はなんて愚かなことをしたのだという後悔をすれば、そこにすでに存在は見いだせる。そう言った形で、良心も展開するように思われるのだ。どうだろうか。私自身がどう生きようが勝手であると言ってみたところで、それは、周囲の期待に応えられそうもない自分自身を無罪放免にしてほしいという嘆願書でしかないのかも知れない。期待に応えようとするあまり答えられないという矛盾こそ私が人生の残り滓から絞り出した唯一の実体的な感覚である。そう思わなければ、私の人生に人生的な意味はない。
そう落ち込んでばかりもいられないよ。鳥も飛んでるし、雲も泳いでる。草花は人知れずに存在している。私の心よりも根をしっかりとはっている。私の心なんてないかもね。ba-ka
後悔後悔があるだけなの。だって、お酒飲み過ぎたら将来絶対体悪くなるわよ。だから、もう嫌よなんて書いてみたところで爆笑。思ってもみないことなのよ。酒飲んで死ねるのならそれも上等!だって、どうでもいいんだもん、いろんなことが。それって、考えてみれば嘘なんだけど。
別の部屋で暮らしてる
今でも週末ねだりに行くけど
もう愛しかいらない
もうすぐ素直な娘に驚く
セシルの週末。セシルって何、誰。一体なんだ。黒いパンツ履いてタバコを吸っている14歳に、くすねてもらうっていう奥多摩の匂いがするんだよね。共通理解とかないからごめんね。ほんと共感ってただの、もう思想統制だよね。
きた、きたよきたね・・
昨夜ロビーのソファで出会い愛し合った紳士は
朝焼け前に姿を消した
東側のタバコの吸い殻電話の脇のメモはイスラエルの文字
さっきお昼のカフェで話し、廊下で見たレディは
桂の色がガラリと違う、こっそりひらくパフに仕込んだアンテナ
口紅から発信機の音
彼らの写真は新聞を飾る、蜂の巣になり広場に死す
硬いニュースはすぐに忘れてゴシップは残る
回転ドアを少し回せば外の空気が流れ込むけど
慌てて止めにくるよ
¥
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