アウトプット

相手の視点に立ってみよう

わかりやすく書く

 プラトンは、ソクラテスの弟子である。ソクラテスは何も書かなかったので、彼についてのお話は弟子のプラトンが書いたものの中に存在する。だから、ソクラテスが本当にいたのかどうかわからない。少なくとも、当時別の人の書いたものの中にもソクラテスと言う人が出てくるからおそらくいたのだろう。ソクラテスが実在しようとしないとしても、心の中にソクラテスが現れてくるのだから、実在を論じる必要もなく感じられるのだから、ソクラテスが本当にいたのかいなかったのかについて興味がない。

 プラトンは、アリストテレスを弟子に持ったのであるが、アリストテレスの書いた本は専門的でよくわからない。話題が細分化されていて面白くなかった記憶がある。プラトンの話も、人が死んだら魂はあるのかどうかといったお話は、全くもって永遠に科学的な証明を得られないと思いなし興味も湧かなかったのだが、どうしてだろうか、科学というものを知らないでいたからだろう、今も科学について全く知らないのだが、反証可能なものだけを扱うという狭い分野であることに違いはない。電子書籍のシステムを構築させたとしても主人公は本である。永遠に主人公としてではなく裏方としてシステムを構築させ永続させそこからシステム屋がいる。彼らと会ったこともないので興味がわかない。

 ところで、私はプラトンソクラテスについて話したいわけではなかった。特に話すことがない。だから、世の中の言説に惑わされ一喜一憂しバカを見るのかもしれないがそれでも構わないと思っている等の人間なのかもしれないと、自分自身が情けなくなる。嘘であっても泣くことはできるのだ。日々ドラマを見ていてなぜ嘘なのに泣いているのか、嘘話を真剣に見て嘘をついている俳優に入れ知恵をするのだろうか、ちっともわからない。本を書く人間もそうなのかもしれない。どういうことを言えば、読んでいる人間は満足するのだろうかと考えて言葉を選び書く抜いているのかもしれないが、僕はそんなことはしたくない。というよりも、できないのだ。だから、ここに退屈紛れな文章をシコシコと打ち込んでいるのだ。私のやっていることの意味を問えば無意味である。私は最近もう意味のあることに疲れた。全てのことが意味に充満していて飽和しているように思えて仕方がないのだ。世の中から意味を剥ぎ取ればどうなるだろうか。恋人に渡したチョコレートも意味がないのだから好きだというメッセージにならずに済む。なんとまあ清々しいことだろう。近頃ちっとも清々しい気持ちになることがないから、味わってみたいものだ。

 大分気楽に生きようじゃないか。皆が皆自分のために利益を追求していれば必然と似たような人間ばかりになる。そんな世界にはもううんざりなのではないだろうか。買った人間もどこかで負けているのだ。競馬で勝っても給料で負けている。給料で勝っても、顔で負けている。顔で勝っても、性格で負けている。メンヘラだとかね。世の中がこううまく出来上がっているわけじゃないだろうけれども、一体どうして俺は世の中について書きまくっているのか。どうだっていいじゃないか。俺が今いるこの家だって世の中じゃないか。ネットの世界も近頃は世の中になってしまった。だから、広告も増えたしつまらない企画なのにみんなでやれば楽しいと言わんばかりの空間がネットに持ち込まれたので再び居心地を求めてどこかに「みんな」言ってしまった。みんなとは誰のことだろう。

 とにかく、世界のパターンが見えやすくなっている。これからどういう社会を作るのかという時にAIの社会が来るという。当然来るだろう。介護する喜びも運転する喜びも文字を書く喜びも全て失って人間は何をするのだろうか。

 私にはわからない。分かろうとも思わない。AIにちっとも興味がない。