アウトプット

相手の視点に立ってみよう

とりのけとりのけ

 うすうすは感じていたのであるが、十分ということすらもはや余分なのかもしれない。高浜虚子は575に何を込めたのか知らないが、とにかく、「とりのけ」ということらしい。鳥を言い表す時に、鳥といえば鳥のイメージが伝わる。鳥という言葉を使わずに鳥を伝えることに趣があるのかもしれない。鳥に投影されてめちゃくちゃにされたイメージを捨て去り、鳥を見ようとすることに喜びを見出す。何もない心に物が映った時に手が震えた浜辺の夕方に、僕は何か人生の暗さを一手に凝縮した一本のタバコをじっとみて視力の解像度が急上昇し、耐えきれない!狂ってしまう!と思った。あの時のタバコが一番忘れられない。それは去年の11月下旬の少し風の強いビーチの夕暮れであった。

 高浜虚子といえば、横顔が有名で私のイメージでは夭折した病弱のイメージだったがそんなことはない。写真を見れば恰幅のいい姿をしていて、丸坊主の小狡そうな田舎の大工の棟梁みたいな顔をしていた。もっとも、棟梁なんてどんな顔なのかちっとも知らないけれど。

 それにしても、書くことばかりで何も読まないからいけない。