アウトプット

相手の視点に立ってみよう

理解しよう

 つまり、英語と日本語は全く違うってこと。それは意味がわからないと言うことではなくて根本的に意味さえ違うこと。死ね、と言われて笑っていられるのは、死ぬのはこちらの勝手だから死ねと言われても、ねえ、冗談だとしてもあまりいい冗談じゃないのは確かだけれど、死ねと言われてなんで嫌な気持ちがするのかって言うのは不思議だよね。まあ、世界が均質化すると同時にそれまでの個性は受け継がれずに文化財とかなんとかでものとしてなら残るけれども、習慣としては奇習に追いやられることがあるんだろうな。生きている人間の方が大事なはずなのに、なんかぼろ切れみたいな人間もいる。そう考えているのは自分だから自分がぼろ切れと考えているわけで他人もそう考えているわけではないのだ。と、思えば私は何をするべきなのかよくわからなくなってしまうのも無理はないのではなかろうか。私は思うのだ、生きているのが辛いのは誰からも必要とされていないからだと言うことに。必要とされていないのなら死ぬのかと言われたら死ぬのだ。自分から進んで何かに熱中することがないから、他人から必要とされたいのである。そうでもなければ、自分の生命を長続きさせる意味がない。これは、ずっと私が小さい頃からある。一般化できない私個人の性癖みたいなものだ。あまり話す内容でないことは十分に承知であるけれども、話さずにはいられない。