アウトプット

相手の視点に立ってみよう

倦怠

 ネットが面白くないのはなぜか。誰かに読まれているという前提があるから人々の営みの中で一番大事な想像力を爆発させることは非常な厄介ごととみなされているからだろうと思われるのだ。いまだにポルターガイスト現象があるにも関わらず誰もそれに疑問を持たないで生活をしているというのが不思議でたまらない。一方で科学は非常に発展して飛行機も作ればロボットも作った代わり人間はそいつらを運営するために非常な努力を強いられ神経をすり減らしている。ロボットを生かすために働いているという人間の逆説的な生活が経済的に最も豊かになるためには必要な行為だというのを知るべきだと思う。現在ネットで業種に年収がわかる。相手と比較しているからバイトの女子高生の顔はイライラしているのだろう。とにかく私は今の時代が嫌いだ。昭和が終わり高度経済成長あたりも嫌いだ。同じように生活してそれを疑わずに生き束縛されていた時代が。いい時代なんてないのかもしれない。しかし、嫌いなのだ。太平洋戦争には死が用意されていたから生が充実していた。しかし、今の世の中はいかにして淫乱な人妻と出会って思いっきりセックスできるのかを争っているに違いない。必要なのは身だしなみ、会話、金。こんなものじゃ、本当の男の興奮と生の充実はあり得ない。死ではなく、相手より優位であるという比較による幸福しか用意されていないからだ。個人的な幸福は自殺と関連があるように思われる。私は疲れた。もうあまり手広くやらないと決めた。しかし、手を出す。今はイタリア人が面白い。彼らの感情の出し方は見ていて面白いが当事者になればただ疲れるのではなかろうか。それもまた一興だろう。日本のように毎日がロボットのような人間を作り出している国において未来は、ただ、明るい北朝鮮になるだけしかないような気がする。中国人の方がまだ気持ちが自立している。片言だから相手のことがよくわからないで済むのだ。知っている振りを知らないうちに身につけている日本人は、相手にマナーを求めそれに従うかで人間性を測る。センスは介入しない。人狼でいうグッジョブは期待できない。見てくれも大事だ。ツーブロックの胡散臭さ。保険屋の担当がすぐに変わる事案。マナーがよくても、人間がダメならダメだね。