アウトプット

相手の視点に立ってみよう

その人の背中を僕は知らない

 読み手は私だから私に気持ちのいいことしか書かないようにしている。そう入っても誰かが読むときに仮面をかぶって服を着ているので全く世の中には嘘ばかりが蔓延することになる。自分のついた嘘をバレないように義務を履行している姿が散見される。世の中がいいだとかどうだとか、どうでもいい。どうして世の中のことばかり考えているのか。世の中とは私自身ではないか。今日のこの空の青さも五月の新緑も全て私の目が作り出しだのではないか。そう思われてならない。私が手術を受けるときはお医者さんの世界に入って私をいじってもらう。そして、その世界の滞在料金の3割は国が補償してくれる。国は誰が作っているのか。まともな国でいるためには、まともでない国を作る必要がある。そのためには、私たちはまともな国でいなくてはならず、隣国はまともになってもらうと困るのだ。日本という社会のかぶってきた仮面がそろそろ化けの皮が剥がれるのも遠くないところに来ている。他人の仮面を引き剥がそうとする努力を私はしないけれども、中には喜んで加担する人もいる。その人は世界だろうか。世界の住人だろうか。世界とは私自身ならその人も私自身であるはずだ。世界には法則がある。雨が降り気が育つ。花が咲きやがて枯れる。これは私にはコントロールできない現象であり法則性を持っている。なんとか人間にも法則性がないかと見てみる。心理学や統計学精神分析学。確かに人間は他人が欲しがるものを欲しがるという法則性があることがわかった。しかし、それは人間の意志で欲しがらないようにすることもできる。おもちゃも時が経てば欲しくはない。世界も変わるが、私も同時に変わるのだ。私の変化に気がつかないから世界の変化にも気がつかない。どうしても幸せな人は願ってしまう。毎日が変わらぬことを。しかし、毎日は変わっている。そう寝返るのが幸せの一つなのかもしれない。明日はどこで何をしているのか。それもわからずにあてもなく歩き続ける世界。いつ死ぬかもわからない世界で私たちは降伏を覚えていた。南の島で痩せこけた日本兵はそこらへんの男だったのだ。彼らは死の先に輝きを見つめているように思えた。生きながらえて帰って来れば地獄でしかない戦地の様子を語る人は少なかった。私には主張がない。主張がないという主張しかない。意見や主張をコンビニで買うのではなく、実際に作りに行こうではないか。