アウトプット

相手の視点に立ってみよう

河野太郎が嫌いだ 河野太郎とネット民

 私見で申し訳ない。書くこともないので河野太郎を引き合いに愚痴ろう。

 河野太郎が嫌いだ。ネット民が河野太郎好きらしい。ツイッター漬けでまともに本も読まない顔の見えないツイッターに実在性を感じるような奴らが河野太郎の「強気」な態度に非常に好意的なのだ。それが、情けない!

 外国でも堂々としている河野太郎外相は随分と日本国民から歓迎されているらしいが、私はそうは思わない。堂々としているだけで、深みを全く感じない。顔は真面目くさった顔をしているが、あんな顔見ているだけで疲れる。こいつは多分自分に酔ってるタイプだろうからちょっとイタズラ仕掛けても、多分自分の懐のでかさをアピールしに来るだろうから執拗に挑発してキレたところで、面白みもなくジョークも理解していない河野太郎のそれを、「本心」「真の姿」として認定させてやりたい。

 要は、自分の意見が言えず不本意であるにも関わらず迎合し、不満タラタラのネット民の理想的自己の姿の投影体である「河野太郎」とかいうただの鏡を割りたいだけなのだ。自分の姿と向き合ってそれを受け入れていこう。情けなくてもいじゃないか。ただ、河野太郎が外交の場で堂々としている姿に安堵しきって自己認識がお留守になっているネットたみは今日もクソ記事をばらまく同じネット民の住人たちが垂れ流した糞尿を便器の下から口の中に取り込むのだろう。クソも味噌もわからないネット民だから、河野太郎も楽だろう。ちょいと英語が話せて、姿勢良くして、あの、しかめっ面でたまに笑っておけば馬鹿な大衆の最も最下層であるネット民の票なんてちょろいちょろい。