アウトプット

相手の視点に立ってみよう

ジャックデリダ

 デリダの面白さは、二項対立に反対しているところ。例えば、正義と不正。これはつい概念である。しかし、正義の中にも不正はある、不正の中にも正義がある。何が正義で何が不正であるのか決定するためにはどうすれば良いのか。かつて、プラトンは正義の中にある不正を、正義の外に追い出した。そして、完璧な正義を作り出した。そして、正義でもあり、不正でもあるものを追放した。これにより、正義と不正をまじりっ気なく対立させて論じるのがプラトンだという。では、追放されて正義でもあり不正でもあるもの。これは、正義であるはずのソクラテスが不正な輩として裁判にかけられ死刑を宣告されたことを例えに考えてみればわかる。

 そこで、結局は正義と不正という基準の中には決定不可能生がある。つまり、いかなる決定をしてもそれが絶対的に正しいということはないのだ。それを考慮するべきだというのだ。例えば、死刑制度反対という法律を作るときに、遺族の憎しみに対して責任を取ることができなくなる。死刑制度賛成とすると、死刑囚の親に対して責任を取ることができなくなる。ラーメンを食べれば、寿司屋に対して責任を負い、電車に乗ればタクシーに対して責任を負う。つまりは、決定不可能生、決定が絶対的な正しさの元なされることはないのであり、常に誰かを傷つけている、あるいは常に誰かを差別している、その誰に対して責任を取らなくちゃならないが、責任を取れないということ。それを知るべきだということ。それがデリダだよね?