僕の指だけは明晰に気持ちよく動いた

 今宮公彦には友人がいなかった。だから、一人さみしく大学に通い授業中は死刑執行にあっていたと君は思うかもしれないが、そんなことはない。彼は授業中に彼にわずらわしく話しかけてくる人間がいないことをうれしくもおもった。そして、休み時間に騒ぐ人間が大嫌いなのであった。そもそも彼は人間が嫌いだったのだ。おしゃべりが退屈に輪をかけてつまらなかったのだ。そんな彼は金を持っていたがためにどちらかというと友人たちに利用される側の人間であったから人を嫌うだけの理由は数々あった。奢る事がこの上ない公彦の俗悪な趣味であるかのように周囲は彼をみた。しかし、公彦はそんな周囲の期待に応えようとしたために財布のヒモを緩めていたわけではなかった。ただ、彼は彼がお金を使う事で少しは社会のためになるのだと、経済的観念から、また、会った事もない貧しい人達への喜捨の思いから自分は奢っているのだということを彼はわすれないようにしなくちゃならなかったのだが、彼は調子に乗った。彼は実際に、自分の為に金を使って次第に友人と自分の見境を失っていた。

 ある晩、彼は彼の住むマンションの奥に摩天楼の灯りを観た。赤く点滅する光がついえる日があるのだろうか。彼は夢見た、彼自身の人生がついえる事を。暗さの中でしかみえない弱々しくゆらめく光は儚くも美しい。公彦は、晴れた日に目に映るすべてのものが彼をわずらわしくさせた。街頭をくねる人間さえ彼を煩わせるには十分であった。11階のこの部屋のバルコニーから暗澹たる空にむかって手すりを踏み台に跳んだならば、彼の悩みは彼の顔を苦悩で歪ませる前に奇麗な死顔を棺桶から覗かせていただろうか。しかし、彼は死ぬ事なく、大きな音をたてるバルコニーのドアを開けベッドに静かに寝そべった。

 明日など来なくていい。そう考えて数ヶ月がたった。彼の気持ちは日に日に沈んでいき迷路に迷い込んだ。そして、社会がきっと手を差し伸べる。けれども、彼はいつまでもその手を拒んだ。彼は社会を酷く憎んでいたのだ。それは社会が醜悪な人間を作り出す装置にしか彼にはみえなかったからだ。しかし、どこに醜悪でない人間がいるだろうか。社会もまた人々から迷惑をウケているのだ。人々の醜悪さに社会は染められてしまっているのだ。醜悪というものは社会に存するのではなく、人の心の中にあるのだから。公彦はそんな社会の被害者ぶりに共感したし、また、人々の醜悪さに彼は目をつむるくらいに人々を信じていたかったのだ。彼は其れがために人々と社会の境界線の狭間で身動きが取れず、迫り来る葛藤の列車に轢死するのだ。

 起きた彼はまた寝る事にした。眩しい朝日が彼を照らした。彼の醜さをも。彼の心の平静を保っていた独楽も平衡を失いつつあった。もはや、彼は彼自身に救いようがない事を悟った。救いを求める事の幾度とない繰り返しに、彼は永遠の退屈なる不愉快な日常の回帰をみた。救い用がないとは彼にとって世間並みに彼が汚れる事を受け入れる事への拒否であり、それをもはや諦めた彼には街を歩く人々がただ、あくせく小さな快楽を人々に見せびらかすために生きる醜悪な二足歩行の気どった奇妙な色の服を着た猿にみえた。もはや笑うことさえ彼には不愉快な神経の痙攣であった。そして、彼は愛に死のうと決めた。

 ある日彼は九州に住む女の子に手紙を送った。手紙にたくさんの愛情を彼は込めたかったのであるけれども、彼はあえて其れをしなかった。もちろん、自らの死が彼女を苦しめるだろう幻想に浸っていたかったからだ。彼の死が彼女をどれだけ悲しませるのだろうか。彼はそこに真実の愛があることだけは頑に信じた。それでも彼は、彼の愛が後々彼女を苦しめる事のないように彼は手紙に当たり障りのないことばかり書いた。しかし、本心はまるで違った。彼は、彼女の涙をみたかったのだ。その涙こそ愛であると彼は信じたことは先ほど述べた通りである。愛は人を殺しもするものなのか。青酸カリと大量の睡眠薬と愛は何ら変わりないのかもしれない。彼は愛を貫いた。しかし、彼が死ぬことで彼は愛を放棄したといえないこともないではなかった。それでも、苦しみをも愛であるとするならば、事実苦しみに耐えきれなかった彼は死んだのだから、それはつまり、彼は愛に死んだのだと考えられなくもないのだ。いや、愛に殺されたのだ。

 また、彼は愛の形を与える事が彼の喜びだった。人を間接的に愛する事が彼の愛だった。直接的な愛の魅惑に彼は惑わされなかった。直接的な愛が人間を苦しめる憎悪と同じ事であることを彼は彼の両親との共同生活の中で知らず知らずのうちに身につけていたのかもしれない。おそらくは愛よりも憎しみの方が彼もうすこし永く生きながらえさせただろう。しかし、憎悪のなかに送る生よりも、美しい死を彼は選んだのだ。古今東西この手の話は数えきれない。憎悪に満ちた言葉を人生訓と称し得意げにそれを口にする人間を、彼は黙殺するよりもはやく素早く斬り殺したいほどであった。

 郵便受けに手紙を投函した後の彼の行方を知るものはいない。ある人は、彼は死んだのだという。もっともだ、彼は姿を消したのだから死んだと考えるのはいかにも素直だ。しかし、死体のない死を私は受け入れ難い。おそらく彼は人々の記憶の中に生きたかったのだろう。彼は語り継がれたかったのかもしれない。其れは英雄になりたかったという事だ。つまりは人間の限界を彼は発見しそして人々に伝えたのだ。彼は人々を限界の外側から救っていたのだ。誰も彼を理解しようなどとしちゃいけない。人を理解しようなぞとなまくらな時間でできるはずもないんだから。ただ、日々を過ごすしかない。退屈の断頭台に彼は喜びに満ちた柔和な顔を供えた。空高く座する太陽の光を網膜いっぱいに浴びて。一瞬、かれの顔を影が覆うと太陽が非ぬ動きをして彼の視界から去った。

 ある日、彼の住んでいたマンションの郵便受けに茶色い封筒に包まれた手紙が一枚入っていた。そこにはこう書かれていた。

「私は教員採用試験に合格しました。春から横浜で暮らします。これからもお付き合いよろしくおねがいします。あなたが大好きです A.N」

 僕は今宮公彦に代わって彼女に手紙を書いた。

「公彦は死にました。彼が死んだのは貴方のせいです。貴方が夢を追いかけている間に彼は自分を捨ててまで貴方の夢について貴方と共に語ってあげていたのです。事実、彼はぼろぼろの衣装で頭だけは冴えているようでした。そうでなくっちゃやりきれません。彼は決してもてるために小説を読んでおり愛していたわけではないのです。あなたに相手にされなかったからでもありません。彼は小説を愛していたのです。だから、貴方を愛しちゃいなかったともいえます。其れをきいた貴方が笑ってこの手紙を破いてくださる事を私は希望します。燃やしてもらっても構いません。むしろお読みにならないで頂きたい。なぜなら、公彦はそんな事を貴方に知られたくはなかったでしょうから。しかし、私には彼が余りにかわいそうで。だから、私は何も責任のない私の立場から彼を代弁してここに手紙をかくにいたったのです。そうですね、私の名前は・・・お金とでもいっておきましょう」

 手紙を受けとった日の彼女の匿名アカウントtweetにはこう書かれてあった。

「あなたが私は愛していなかったことくらい、私はちゃんと知っていたんだから」

 愛とは終わりのない対話である。愛することを諦めて、人ははじめて人を愛せるのだから。では、彼は彼女を愛していたのか。確かに、愛していた。そして、彼は愛に殺された。彼の愛は断絶され、彼ははじめて彼女を愛せたのだ。きっと断頭台から転げ落ちた彼の表情は安らぎに満ちていたことだろう。なぜなら、愛せることは安らぎを齎すから。対話よ、永遠なる愛となれ (終)