2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧
メディアはメッセージである。メディアに完全にさようならをしよう。人生はメディアの命令で作るのではなく、失敗してもいいから自分の感覚で作ろう。だって、失敗も成功もメディアが作り出したものだから。たとえ、失敗したとしても楽しく生きている人もい…
車を買え、化粧品を変え、面白いことを言え、笑え、泣け、感動しろ。すべて不自然な気持ちから起きるものだ。もうメディアづけだ。天気予報もメディアで知る。仕方がない。しかし、ニュースまでメディアだ。知らなくてもいい情報をたくさん流してくれる。日…
嘘ばかり言って、そして生きることに疲れた。嘘をつけるくらい元気ならいいんだけれども。
中国が攻めてくる時にどう日本は動けばいいのかと考えている連中に言いたいのは、アメリカが日本を軍事的に攻めてくることは考えないのだろうか。アメリカは日本と戦争をして講和条約を結んだけれども、いつだって破棄しようと思えばできる。日本が中国と手…
自分で自分を縛るのをやめよう。自分を拘束しているのは常に自分なんだ。それに気がつかないでいると余計に苦しいんだ。僕はこうしてタイピングすることで言葉をディスプレイに表現しているわけだけれども、一体どう書けばいいのかわからない。自分の不安は…
養老孟司さんの話で本居宣長が出てくるのが面白かった。本居宣長は世間に向けて医者の仕事をしながらも、自分に時間ができれば古事記に向かった。小林秀雄が晩年に宣長先生について書いたのも、今の時代がだんだん仕事ばっかりが人生になってきて自分の時間…
つまり、英語と日本語は全く違うってこと。それは意味がわからないと言うことではなくて根本的に意味さえ違うこと。死ね、と言われて笑っていられるのは、死ぬのはこちらの勝手だから死ねと言われても、ねえ、冗談だとしてもあまりいい冗談じゃないのは確か…
うすうすは感じていたのであるが、十分ということすらもはや余分なのかもしれない。高浜虚子は575に何を込めたのか知らないが、とにかく、「とりのけ」ということらしい。鳥を言い表す時に、鳥といえば鳥のイメージが伝わる。鳥という言葉を使わずに鳥を…
面白い人を見つけた。国木田独歩だ。 彼は、室宿だった。 確かにそれっぽい。彼の書いたものを一度も通読したことはないけれども、楽しい予感だけが先行している。
各々が舞台を持っているのでそういう風に書けばいいのだと思います。文章に自由を求めているのだから、おそらくは、そういう文体になるのでしょう。学者になれば色々と文章作法があるから研究に成果を十分に発揮することができない。科学的精神をすべてに当…
今でも思い出すのは、ランボーを読みながら流れていく茶色い畑の風景だ。あの時僕は、鹿児島行きの電車に乗っていた。静かな車内で僕は寸分の時間ももったいないというはやる気持ちで、本を数冊携帯していた。そこで読んだのがランボーだった。小林秀雄が訳…
このブログのタイトルはアウトプットであるが、何でもかんでも書いてみたところで得られる収穫は思いの外少ないのだ。なんでも書いてしまうと、結局は言葉を修飾する機会を失って単純な言葉に変換しなくちゃならない。「くそ」だとか「しね」だとか「ばか」…
丸善の本屋に行ったら膨大な量の洋書がずらりと並んでいる。丸の内の丸善の他に洋書を扱っているのは八重洲ブックセンターであるが、そちらも良いのかもしれないが、丸善の方が規模が大きいように感じた。天井まで届く棚にびっしり並べられた洋書を読むこと…
見てて清々しかった。血の出ない生産の事件が毎年起こっているけれどすぐに忘れるような時代だ。自分が死んだとしても何も思わないのだろう。それならば毎日をかけがえのない1日だと信じないから顔も必然死んだような顔になってくるのである。タイから帰っ…
えらい人に会うと自分がちっぽけに思えるからえらい人には合わないようにした方がいい。その人がえらいと思うのはその人をえらいと思う人たちであって、私はえらい謎とちっとも思っていないことに気づくべきなのだ。私が書くべきではない文章は、告白文だ。…
徒然なるままさにパソコンに向かいて思っていることを書いてみると、やばい。やばいことを思っているのか。書いてみなくちゃわからない。自分が何を考えどうしたいのかを言いたくないということが存分に伝わってくる。いろんなことについて何もコメントした…
ちんたらどうでもいい文章を載せまくって何がしたいのかさっぱりわかりません。昔は筆で文字を書いたからだいぶ書くのが遅かったらしいけれど、今は、こうしてパソコンでキーボード何も見ないで打てるからね文字の質も文章の質もだいぶ下がってきている今日…
どうすればいいのか、わかったのだ。世間について語るのをやめよう。そのほかに世間を遠ざける方法がないのだ。
西洋哲学っていうけどさ、広すぎるんだよ。凝縮しちまおう。「言葉に頼って事故を自己あらしめる魔術」これが西洋哲学の狙いだろ。いっつも、自分の存在を疑ってる。相手の存在を疑ってる。猜疑心の塊。本気で疑えば全てうたかた、泡のようなものなのによ。…
ラカンに悩みを説明してもらった。それで、解決したのかと言われれば解決した。しかし、何かをする時に彼の理論を思い出す。自分のことを人間は話すことができないという呪いをかけられてしまった。だから、何か好きなことがあってもそれは他人の欲望である…
プラトンは、ソクラテスの弟子である。ソクラテスは何も書かなかったので、彼についてのお話は弟子のプラトンが書いたものの中に存在する。だから、ソクラテスが本当にいたのかどうかわからない。少なくとも、当時別の人の書いたものの中にもソクラテスと言…
もう、私には彼らと付き合うために時間を割くことはしない。彼らとは、ネットの記事に突き動かされている連中である。どうでもいい記事を題材に論評し避難し笑ってすごく。笑ってしまえばいい。どうでもいいのだ。刹那的だから次のハプニングを待っている。…
気づいたらやめるべきだ。自分が戦略にはまっているとわかると興ざめするどころか胃に沿ったことをやり始めるのが我々の性癖だ。拭い取ることが今だにできない強制的な内的圧力である。これを利用して国民に隣国の恐怖を煽るのに韓国は力を貸している。だか…
なんで人は人を殺すような道具を作るようになったのか。ってな問いが、古墳資料館にあった。何故だろうか。何故人は人を殺すのか。実に不思議だ。自分に都合の悪いことがあれば殺す。都合とはなんだろう。自分にとって居心地の悪い環境を作らないために殺す…
日本人は変態である。そして、冒険嫌いの引きこもりである。それを脱してこそ意味があると言わんばかりの世間の厚顔無恥に相変わらず日本の陰湿な部分を見る。現在日本人の多くはメディアに情報源を頼り自ら文献にあたることなく専門家の解釈を鵜呑みにする…
僕はあまり自分の脳みそを信頼していない。僕の脳みそは空っぽだ。多分、萎縮しているんじゃないかと思う。病院に行ってMRIの検査をすればわかると思う。でも、脳みそが萎縮していても悲観することもないから、気にしないでいられる。 社会性を失っているこ…
教えるには相手が何を知らないのかを見極める必要がある 相手の知っていることややっていることを言ってみても教えることにはならない 今はブランドの時代 おしゃれもそう 気持ちのいい人じゃなくて、気持ちのいい見た目の人がいいのだ 人間関係の接触をきら…
世界って難しい。目に見えているものが存在するのか。それさえ。言葉なのか、見えているのか、触れるからなのか。触らない限りないことに等しい。女とやったことのない童貞の女に抱くイメージ。こき下ろしではない。でも、実際にやっていることはこき下ろし…
今日は曇りか。何と穏やかな。電車の音もそうそう聞こえない。素晴らしい。もう描けないのかな。奇妙な文章しか書けないのかな。公共性がないから自由に書けるかと思ったけれども、文体を忘れてしまったな。そんな時は、サリンジャーを読んで自分に言い聞か…
こう、商業主義的な広告ばかりで嫌になっちまう。記事もそうだ。美人の画像の下には口臭対策の話。全く関係のない画像が安易に使われているのも腹が立つ。でも、それを金にしている人間がいるってことを考えると何も言えなくなってしまう。皆がどんどんバカ…