アウトプット

相手の視点に立ってみよう

耳が聞こえなくなったら

 耳が聞こえなくなったら、記憶も消えちゃうかも。だって、音を忘れちゃうんだもん。忘れちゃったら記憶は取り戻せないね。耳を切り落としたゴッホだけど、発作だとか何だとか言われて病気のせいにされているけど、なんで病気になったのかは誰も問わない。持っている気質だとか言って片付けるのが常套手段ですからね。ゴッホは多分耳を切り落として先入観を捨てたかったんですよ。記憶には先入観でしょ。りんごの記憶があれば、見ただけで甘さだとか想像してよだれを出してします。ゴッホはひまわりを小さい頃に見たことがあるんですよ。そこらじゅうにさいていたひまわりが好きでしょうがなかった。そのひまわりも、大人になるにつれ枯れてきたのです。枯れたのは、ひまわりではありません。心です。ひまわりを見る心が枯れてきたことに気づいたのです。先入観がひまわりを作り出して、目の前のひまわりを覆い隠してしまっているのです。はじめてのひまわりを見るために、彼は耳を切り落として記憶を消し去りたかったのでしょう。

 感情って、なんで鈍磨するんだろうって、考えたら当然の答えが見つかりました。それは、感情を持てば苦しむからです。感情が苦しみを与えることをよく知っているからです。無表情は悪くないです。そんなに責めないであげてください。無表情であることと、無関心であることに違いはないのです。好きな人の前だと人間は真顔になってしまうのです。私だけかもしれませんが。そもそも、私って人間でしたっけ。人間じゃないのなら一体私は何者なのか。定義から逃げて私は何になろうと計画を立てているのでしょうか。完全に崩壊するべきは私なはずです。

 命ある限り、電気がある限り、パソコンが壊れない限り私は、魂を文字に託します。私の魂は私の肉体にはもはやありません。文字にするときに立ち現れてきます。まるで、絵画を描いた人間が表現するのは作者の魂であるのと同じ理屈です。ゴッホは、不安定な精神の中で、瞬間に見える魂をひまわりの絵に託したのです。私もゴッホのように、ひまわりの絵を描いてみようかな。魂を外に出したくてしょうがないのです。外に出してあげて魂を肉体から開放したい。プラトンが書物を嫌いながらも、劇作を書いたのは魂を外に出したかったからでしょう。それも、他人と会話していてはどこか魂は不自由だ。相手は魂を受け入れないでしょう。だから、物言わぬ聞き手であるパピルスに魂を植え付けていったのでしょう。魂を肉体から取り出して、紙に書き写したいものです。

 私が自殺をしない理由は、魂がそれを望んでいないからです。もちろん、魂はこの文章そのものです。ここに書かれていること以外の本音を私は持ち合わせていません。あるのは妄想だけです。妄想だけが現実をより鮮明に現実に仕上げます。空なんて飛べるよと、空が飛べる世界でわざわざ言う必要はないのですから。だから、私は空なんて飛びたくないんだと叫びたい。空なんて飛びたくない。それは、空を飛べると信じているからです。生身のままです。もちろん。それを信じきれる人だけが人生を生きられるのではないでしょうか。そう思わずにはいられません。

 

 がらんどうの空き箱に

 猫がいた

 白とグレーの猫だ

 空き箱に手紙が入っていた

 「だれか養ってあげて」

 空き箱を持ち帰り、育てた

 猫は次第に太って

 私の体重を超えて

 私の体重はみるみる減って

 とうとう家を離れ病院に寝泊りすることになった

 猫の面倒は、友人に任せた

 ある朝、友人から連絡が来た

 猫がいない

 私は

 野良猫だからね

 と、言った。

 しばらくして、真夜中に

 猫が布団の中に入って私の足に擦り寄りながら

 寝ていた 

 しばらくして、私は永遠の眠りについた

 猫は、病院で飼われているらしい

 患者には愛されるが

 医者や、看護婦、患者の家族には毛嫌いされているらしい

 よかったね、猫