アウトプット

相手の視点に立ってみよう

2015-01-01から1ヶ月間の記事一覧

私の敵の敵は私の味方では非ず べらんめえ調でどやす

ちくしょう、なんだっておれはこんなにも学校へいきたくないんだ。おれは学校で文字を食うってんだよ。てめえらの会話におれが惑わされる事ももうないだろう。なんだってなれたからな。学校で生きる為に日々を生きるなんてことがたまらなくめんどくさいんだ…

生きるという事への問いかけ

君は生きる事を快楽に勤しみその感受性を鈍磨させることに見出すか。己の心に思い浮かぶ由なし事を徹底的に愛しまたそれを表現する事にするのか、大問題である。生きるという問い程おかしなものはない。生きるなんて、なぜそんなことが問題になる。大いにも…

書くしかないじゃん

君は何を僕に読み取ってほしいの。心の深淵?深淵は崖っぷち。断崖絶壁で僕は飛び込もうかと思う。君にはお世話になった。ありがとう。君は僕のものじゃないんだ。君が元気ならばそれにこした事はないじゃないか。そうだろう。そうにちがいない。

何も書かない

私の文章が物事を切り裂く刃物だとしたら、私は切り裂かれるものに愛着と情けを持って今なれ合っている。社会の馴れ合い習慣が私の刃物に同情を強いてくる。物のまわりにはいろんな人達の顔がある。私を怪訝な目で見るもの達。私は社会的に生きる為に自分の…

私も持っていないから貴方も持っていないという事に出来ないかしら

言葉にしない本音を明確に認識する事で私は文章から一定の距離と私にとっての居心地の良い場所を確保する事が出来る。それが考える場所である事に間違いない。考えるには場所が必要だったのだ。この頭蓋骨を隈無く調べる事が私には必要だったのだ。それにし…

内的充実は常に外部の形をとるからして、精神の膠着は文章の停滞を招く

内的充実とは意味である。意味とはかたちに託された人間の思いであり、思いを言葉に乗せる事でさらに”かたち”を人間の知覚において価値あるものにすることである。 ところで、私と他人がマジわう事の出来る場所は相手の心の中でも、相手からした私の心の中で…

僕は一体この葉で何が出来るのだろうか

愚問をあえて呈してみたところに私の焦燥感が垣間みられる事だろう。大学をしばらく卒業できる見込みがない事は確かなのに、はやく家庭をもち彼女と暮らしたいという世俗的通俗的な生活を夢見ている。私は一人っ子だから分からないのだ。家庭についてどうあ…