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どれだけかけばぼくはみつけられるのか

 書けば書くほど私は私の心が呼応する文章を寝る事をしている。私の文章に張り合いがなくなったのは体力の衰えからかそれとも感性を鈍らせる事によってでしかこの先生きてはいけないと思うようになった事からだろうか。そして、私はそんなふうに実際に思っているのだろうか。口からでまかせを言ってできるかできないのかの行動の政界にいつも身を置いているという事は実際には想像力を書かせる事になるのではないだろうか。私が実際かで行動をするのが第一の私の心情だとしてそれを私がいくら保証したところで誰も信用しないのだから保証などはじめから必要ないのだしましてそれを他者に求めるためにこびへつらう事が必要とも思わない。必要だという人もいるだろうが、それを分かった上でしていることと習慣が失われる事を恐れて手を出さないのとでは雲泥の差がある。何に?僕ですか。知りませんが、会話は常に戦いである。自分を賭けた戦いである。人はいつでも戦いだと言って自らを鼓舞したがるけれども、果たしてそれに負けた時その人はどうなるのだろう。泣き続けるのだろうか。戦いに橋があって当然である。従って負けたら死ななくてはならないというのに生きているのはどういうわけだ。

 

「また、つまらないこと書いているのね。よしたらいいのよ、実際なんて求めないほうがよほど実際家らしくいられるものよ。だって、できることばかり考えるようになるんだから。大きな仕事をしたければ、もちろん小さな積み重ねもとても大事だけれど、あんまり小さな積み重ねにばかり心を奪われないことだね」

 

由実子はいつもこうして私は諌めてくれる。

 

小説というのは究極的に主観的な主題である。客観的な事象など何一つ存在しない。存在してはならない。客観的であるということがいかに不可能であることかを知った人間は客観などと嘯けない。だから、客観だという人間は反吐の出る皮肉屋が客観とは反対の主観的な人間を指すことが多い。

 

こんなこと書いて何になるのかしれないけれど、書いてみなくちゃ気が済まないの。それにしてもあれね、きょうはくもりで、お月様も見えない。お天道様も見えないんだから外へ出る気も失せるわね。でも、彼女が帰ってくる前には魚の煮つけくらいは作っておきたいとも思うんだ。彼女は和食が大好きだから。どうみても洋食好きそうだけど、それは僕の方だったのかもしれない。やるべきことはなんだろう。やるべき・・・・。彼女は言葉の繊細さに関して実に鈍い。だから、平気で人を傷つけたり不安にするような言葉を言う、とはいっても、他の女性よりは幾分もマシなのである。彼女が言わないのは、約束できないことだ。好きだというのも控えめである。忙しいからといって、僕がいなくなって仕舞えば、それはダメじゃないかと思う。もちろん、読む人にとってはストーカーだったりしつこいと思われる人がいるかもしれない。彼女はそう思っていないはずだという思い込みも、それができれば僕は幸せだと思うくらい、それくらい僕はある程度は控えめである。

 

といったふうに、言葉は常に誰かに読まれるためにある。従って、私の感性を疲労させる形が必要だ。それは小説であったり、絵画であったり音楽であったり、芸術に限らず、思いやりを持つことはすべて芸術的なことだ。そこに美がないだけだ。目に見える形で、人間の五感に直接に訴えることがないだけだ。それにしても、僕は思うのだが、なぜ僕の行動にお金の発生がその行動の重要性を図る手段になっているのだろうか。世界一周は金をむしろ消費するだろう。レジ打ちをするだけで、お金は発生するから立派な仕事だとも言えるだろう。全く僕は気にくわないのだ。みんなとおんなじようにうごくこと、みんなとおんなじように考え、おんなじように物事を感じること、そんな監獄から脱出したい。それはたとえ牢屋にいたって、できることだ。それは反抗である。理由なき反抗などないといってみたところで、誰がその論を聞くのか。彼女が話を聞いてくれないということが、また人が話を聞いてくれないということがどれだけ不幸せなことか。また、話せないような話ばかり持っていることがどれだけ不幸なことか。そして、人がわかるようなことばかり話すことがどれだけ息苦しく寂しい不幸なことなのか、わかっているのだろう、いや、わかっちゃいるけれども、やめられないのだ。その一時的な酩酊を。

 

どうやら僕は、長く生き過ぎたようだ。

 

どうも、最近はこうして自分を死の淵へ追いやるようなことばかり言いたがるのだからしょうがない。何を食べたいのだろうか、彼女は。そして、僕はどう生きればいいのだろうか。もうここまでくれば好きなように生きればいいさというけれども、僕の好きなことは、社会から剥奪されている。好きなことばかりもやっていられないのだ。そして、本当に好きなことが好きでもなんでも内容も思える時こそ大事な時期なのかもしれないように思うのだ。まあ、たいしたことない。自分がするべきことなんてつまらないことは考えないほうがいい。ただ、空気を吸ってぼんやりとアンニュイにすごせればいいじゃないか。それが最高だと君は思わないのだろうか。