気が緩んだ頃に、大きな失敗をする。つまり想像をするのだ。制欲を忘れた頃に女に取り込まれる。お金を忘れた時に、お金を得るように。どうあがいても私の身は焦がれる。遠い異国の南風に肌を焦がし蝉の音が耳を劈き目はアルミ缶の反射でやられる。頭はギラギラに輝いている。どうも余計な言葉が多すぎるようだ。語彙の豊富さはその人間の幸せを呼び覚ますよりも妨げるものになるであろう。いっそうのこと幸せなど願わないほうが気が楽だ。四十キロで走り続けてゴールドメダルを取るよりも、百九十キロで孤独に走ったほうが何と楽しいことか。その理由を説明するといつも死が顔を出す。またお呼びですか。笑いながら入ってくる。蝶ネクタイにカバンの中身は何だろう。死は私に話しかけない。私の話を嬉しそうに聞いている。ところで生はどこにいるのか。生は私の中で怠惰に眠っている。願うことをやめ、苦痛を忘れ、皮膚の皮と神経を厚くし、官能から程遠いとい太った人間のところへ走らせる。要するに、君は栄養を蓄えすぎているのだ。それを発散しようともしない。子でも孕んだか。ならば生むの君の役目だ。役目を与えられる人間は楽だ。こんな楽なことはない。自分の行いを金と親のせいにできる。何と素晴らしい。無罪放免。裁判官もまた、同じように自らの行いを親のせいにしているのだろう。なぜ自由放免になった私が責められるのだ。おかしいのは世間と相場は決まっている。褒め言葉は呪いで、悪口は挨拶だ。何ら私にまともな説教をしてくれるな。それは限られている。選ぶのは誰だ。聞く耳を持たない。私の欠点であり美徳だ。いつになれば私の夢想が私の神経を脅かすことをしなくなるのか。知ったことではない。いつだろう。期限があるのだ。期限が嫌いである。限界は壊すものだ。すべて私にはどうすることもできない。時は動かせない。期限は私の外にあり私を矯正しようとしてくる。時こそ私の敵である。手を取り合うべきは時であった。彼らには勝つことができない。彼ら自身は無言で機械的に森羅万象の進行していた。僕には見える。夕方の大型家電量販店の憂鬱。駅から坂を下り降りてくる人間の腐臭。買い物かごを抱えた貧民。小売店に時間を売り渡した奴隷。そして、偉いと思い込む力を賛美する指導者たちと、今現在指導者から逃れるチャンスを得てその自由の空気をたんまりと肺を膨らませているうちに陽は暮れ夜がやってきて暗闇の中道を失い朝の気だるさの中工場員員ように時間通りに動く頑丈な体を持ったものたち。生活の冒険者。テレビを見て真似をし口は立派だが冒険はできない。一生腐った舌をのたうちまわらせすりの視線で私を見つめる視線。私はいつだって、人間をわかろうとしている。しかし、違うのだ。奇妙なことに。金持ちは人間が分かったつもりでいる。そう信じている。信じているのだ。それが何よりも素晴らしい。裏切りはない。ただ、許しがないだけだ。信じるとは何だ。人を信じたことなどない。信じられた人間は牢屋に放り込まれているようなものだ。私は人を自由にするために信じないのだ。またそして、私は人から信じられるようなことを嫌うのだ。嫌おうと好きになろうと勝手だろうという。確かにその通りだ。しかし、その程度だ。変な奴に絡まれている。それがきっかけに彼らのかたくなな心はさらにかたくなになっていくだろう。読書好きの芸人がいる。顔ににじみ出る知識への誇り。感覚の鋭敏さと周囲を蔑む目。一人が素晴らしい。一人でいながらにして、みんなでいることはできないものか。心理的強要まで成し遂げる。そこまでしなくては人を信じられないのだ。美しい国でもいい。どんな国でもいい。指針を与えそれを鼓舞するのは信じていないからだ。許せないからだ。何という私利私欲人まみれた公職者だろう。それに投票するアジア人はやはり生粋の奴隷で怠け者と言わざるおえない。湿度の高い彼らのおしゃべりを面白くもないのに笑って聞くのは耐え難い。俺は何を言っているのだ。俺こそ日本人だ。日本人日本人と最近はうるさい。日本人と、あまり言うな。日本人である前に人間だ。人間という言葉が一番だ。ああ、この気持ちが分かる人の元へと行きたいものだ。日本人は互いを信用しちゃいない。日本人といえばいうほどに余所者への生の接触に耐えきれない神経質さが顔を見せている。もう言葉にもしない。その神経質な経済のグラフのような言葉は使わない。熱帯に、なぜ人は憧れるのか。