でも、はもうつかわない。

 金曜だ。労働者の日だ。皆喜ぶ。誰だ、月曜日の話をするものは。仲間で飲みに行く。そんなイメージも、嘘かもしれない。あまりないことかもしれない。お仕事仲間と離れて何をする。仕事してれば暇は潰せるが。

 さて、今日は金曜日。外は晴れて。鳥は飛交う。鳥には曜日はないものか。ゴミ出しの日があるだけだ。鋭利な嘴でビニール袋をついばむ。破れてこぼれた台所の腐敗臭。働く女性は前を向いて歩く。信号は赤だ。目の前の信号は赤だ。しかし、隣を見れば青だ。そして、しばらく歩き再び青信号を渡れば、赤信号でもむかいがわへ行けるのだ。

 ホリエモンが曰く、プライドは捨てろ。僕は人の言葉の引用しかできないのか。走り去る電車。窓から見えるこのマンション。気にとめるのは僅か数秒。どこかに属する。誰かの指示を仰ぐ。軍隊。経済軍隊。それが企業だ。肉体ではなく奸計で。世を悪く言えばそうなる。体力がない。

 つまりは、死を意味する。生きているのはなぜか。根本的な問いは無意味だ。

 怒りがある。それが力になるはずなのに。ならないのだ。おかしい。こんなおかしいことがあるか。僕はないと思う。だるいのだ。やりたくないことはやらない。やりたくないことをすれば、僕は死んだがマシだ。すぐ死にたがる。だから、世は死を私に与えてくれる。受け取らない自分がいる。何てことだ。世の中は、そううまく綺麗に治るわけじゃないんだ。奸計だってピュアに見えるだろう。判断するのは俺だ。誰にも何も言わせ養い。毒を以て毒を制する。彼女の毒が強烈で僕の毒が体内に循環し内臓が壊死して僕の意識が混沌と夢の中を彷徨う恍惚に夢を馳せる。

 聞こえる巨大な空飛ぶ機械の轟音が草原を撫で愛撫し風の余韻を残して地平線と空のぼやけるところへ小さくなっていく。僕は言語社会を恨みもしない。感情はすべてくだらない。自意識もプライドも自分の城壁だ。独りよがりで人と比べることしかできない哀れな人間だ。僕は哀れな人間だ。毒素を抜いてもまだ発生する。根源はどこだ。この毒素の性質と湧き出る泉を探さなくちゃならない。ものが語りかけてこなくなった時、僕は死んだ。僕の文章は死んだ。ペットボトルはいかに透明に見えても鼻を近づければ黴くさい。クリスタルのように透明で美しいペットボトルの見栄えは続くが、付着した黴は光を遮ることなく、しれっと佇み匂いで自己の存在を漂わせている。自己は他者に見つかる。コンビニの店員を見る。心の中に鞭を持った資本主義の官吏が居て、客が来れば「いらっしゃいませ」と怒鳴りつける。会計の終わりには、「ありがとうございました」と頭を振り下げ暴行を予期させる。「またお越しください」と、嘘八百を申し立てる。だから、コンビニは精神的に良くない。私は奴隷と関わりたくない。

 まあいいさ。うまくいくさ。ことをそうかまえないことだね。いいかい、あまりかんがえないことさ。考えればどつぼにはまる。東大に行って官吏になる程度が関の山だ。考えすぎたら何もできない。緊張が体を支配し写生のために女に手を出し女を奴隷にしたがる。エリートってのは見た目はいいが中身はなよなよした女みたいなものだ。冒険心もない。健康ばかり気を使う。趣味もない。怠惰である。悪口ばかり。執着も人一倍。何としつこい人だろう。強烈にしつこい。執念と努力。居座る暴力団と変わらない。包丁持って人殺すのもそのうちさ。法律にすりゃいい。いい考えだ。