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僕は一つの文体になっている。文体によって表され文体を解体することで私もまた解体される。私とは何かと問われたとき文体と答える。それはどこからか聞いた答えであるのならば。オリジナルでないと言われるのならばいったいマシな人選を送ることができるだろうか。僕の文体はあらゆる事象をどう片付けるのか。年少というほどでもない。朝が来た。白けた朝にはお茶がある。緑茶をすすりながらせっせとパソコンを開いて何か書こうとしている。果たして書きたいことを書いてそれで幸せなのだろうか。自分のやりたいようにまた願い通りに文章がかけてそれで幸せなのだろうか。幸せとはなんだろうという疑問に逃げてはいけない。定義が曖昧であるということは個人に委ねられた自由を意味する。

目覚ましのスムーズ機能が鳴りっぱなしだ。一時間ほどずっとなっている。早く起きればいいものを。日本人はノイズに寛容なのだろうか。僕が起こして彼女を罪悪感から救うべきなのだろうか。どうであろうと私は私のやりたくないことは一切しないのだ。もし僕が起こせばそれは僕が起こしたかったからではない、というわけではなさそうだ。起こす明確な理由がある。机の上に置いた蜂蜜たっぷりのホットジンジャーに、白米がある。食べて欲しいのだ。だから起こせばいいのだけれどもどうも起きる気配がない。とてもめんど臭いことになっている。自由であるためには、また、自由をしゅちょうするのに