血の気が昇るようなことを書こう

 話す。答えはない。話すこと。ことが大事。事事。シチュー食べたいな。お尻がかわいい。布団がずり落ちそう。雪崩。テレビはオフ。僕が映る。優しい指でタイピングしてください。僕の顔は偉そう。顎上げて。目はぼんやり。昔からぼんやり。やる気とは無縁?そうでもない。とりつかれるか否か。失敗しないように生きているのだろう。だから成功する事もない。失敗も成功も。かわらない。失敗の代償が成功だ。成功したいのならいっぱい失敗しなくちゃならない。僕は失敗はしたくない。無気力になる。ああ。何もしたくないというのは本当なのかもしれない。

 僕は考える。狡猾に。計算づくめで。天然に。そう。僕は考える。視覚に映るもの。それは何。僕は狭いところが好きだ。押し入れとか?ドラえもんみたい。ドラえもんの映画がある。

 

 見ようよ。

 

 

 愚痴をこぼす。愚痴は話すもんじゃない。自然と零れ落ちるように口から流れてくる。あんぐり開いた口から。垂れ流される。その涎を不衛生だと嫌うものもいる。僕はこの長髪の髪が好きだ。煩わしくなるのは乾燥している時。まだまだ切らなくていいと思う。表情に威厳があれば。表情に穏やかさがあれば。どんな髪型をしていようが構わない。髪に気を配る男が嫌いだ。カチコチに凍らせて。いずれ崩れるのに。ゆとりがない。緊張感がある。あられもない批評を人に浴びせそうだ。体も堅そうだ。操り人形のように社会に糸を引っ張られ引きずられつまらないおしゃべりに調子を合わせ顔はピクピト痙攣している。哀れでもない、可哀想でもない。しっかりしろと言いたい。君たちがその調子で得た果実はうまかろう。しかし、私は果実自体怪しんでいる。料理は楽しい。自ら何かを養うのは楽しい。

 占いによれば私たちの間柄はぶつかっては弾けるという。安壊。どちらかが命令しどちらかが意図を組む。そんな関係だという。自ら陥っている。占いに。人間はどこかに収まりたがる。文脈のどこかに。それが職業になる。文の持つ性質があり、しくじると病理に陥る。皆しくじっている。人間である事が一つの病気なのだ。一人っ子はそれ自体病気であるといった昔のドイツの医者も、言葉は残ったが研究の成果とやらはいったい私に何の意味も与えない。彼が何を研究したかも知らないし、その内容はもちろん知らない。ドイツの医者というだけだ。彼もまた病気である事に気づかない病気だ。痛みに気づかない、それを感じない。それもまた神経が鈍っているのか、痛みをうまく伝達できていないのだから病気だ。

 根本的にリラックスとは何だろう。神経麻痺の状態か。それとも、意識を物理の法則に従わせて変えてしまう事だろうか。意識が、そもそも体内の物理的な影響から構成されそれを感受した人間が言葉などに還元されたものが意識なのかもしれない。奇しくも、このようなことは経済の埒外にあるため金にはならないが、金では得られない通貨であるのは確かだ。金という通貨の通用しないところにおいても生きようとする。もしかしたら、私は金に縛られたくないのだろう。金が物を言う世界のつまらなさに退屈しているのだろう。いくらものが増えても、心に広がりがなければ感受性がなければ読書をしなければ話を聞かなければ気づきがなければ、楽しく生きているとは言えない。

 今年は運動とリラックスのとした。感性とまでは言わないが、どうすればリラックスできるのか。リラックスに努力はいらない。嫌な事は避ければいい。何が嫌であるかは書かないほうがいい。書いてしまえば、おそらく相手にそれをぶつけてしまいかねない。私にもわからないブラックボックスがあったほうがいい。内面をすべて吐露してしまえば、おそらく寂しさしか残らない。秘密にしておきたい事もあろう。それがスマートフォンの中にあっても構わない。それが、沈黙の中にあっても構わない。面白い事だけを話せばいいんだ。愚痴を言いたくなった時は、愚痴を言えばいい。それを我慢している姿を見ているほうが辛い。しかし、私に関わりのないところで愚痴を言ってほしい。私に関わる事で愚痴を言ってほしくない。特に、私自身が自ら感じている事を相手の口から言われると私は嫌な気になる。私は我が儘だ。我が儘になれるものならなってみればいい。我が儘になれば嫌われるから笑顔でいるのだ。それを気にしないのは力強さだ。私が誰かのところで我が儘になれば、そいつはコワレッちまわーな。