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嘔吐

 虚無になれば価値観を見出せずに雲をつかむように気も体も軽く生きていけるのだとすれば、なんと気持ちの良いことだろう。すべてを森羅万象と一括りにするほど私の目は荒くなっているのも確かなことだ。外にいる人たちはまさに、病人で、人身事故現場をカメラに抑えようと必死だ。なんと愚かなと言いたいところだが、人の好意に甲乙つけて自分の存在を云々したくはないのだからやめておこうじゃないか。不安だ。不安なのに動けない。誰も助けてくれ養い。気持ちをわかってくれるなどというつもりはない。私自身わかってあげられない気持ちをたくさんそこらじゅうに散らばっているのもわかっている。私がは垂らして彼女にバイクのを買ってあげれば彼女はとても喜ぶに違いないのに僕は今の生活に満足して中毒になり一向にバカになっていくばかりで、金回りも悪くなり生きているのが辛くなって今日の人身事故に舞い降りるわけであるけれども、一体全体生きるのが辛いと言って何を使用にもこうして文字を書き書を読んで批評することしかできないのだけれども、それも最高の楽しみであるのを誰かわかって欲しいと思わずにはいられないのだ。いろいろなものを見てきたけれども、それをみて感動することは無くなっていくときに人間は精子卵子にり受精した卵子が着床し子を宿した母体は福祉社会のベッドに横たわりあらゆる現代の最高度の楽園を手にするのだ。福祉福祉と言ってもしょうがない。私の存在について云々するのも馬鹿らしいのでやめようじゃないか。自家中毒になって自分を毒まみれにすることはない。自分の過去を一切責めないし僕は自分を忘れるように努めたのも確かじゃないか。大いなる虚無が僕を人が死んでいる踏切に向かわせたのだ。僕は傘を掲げ見ないようにした。ビニール傘でも少しは遮蔽になり私の心は両手で目を覆い隠していた。友人だったものたちの生き様を思い描くたびに自らの惨めさを思い知らされる。私はどうして皆と違う人生になってしまったのかという愚問に苦しめられ、回答もしばしば先送りをしているうちに行動を起こさない自らに全くもって希望を見出せずかといって、自暴自棄にもなれずに何事もなかったように今を生きているのに不思議であるというよりも恐怖とやりきれなさを感じないわけにはいかない。私の実家はお墓の中。決して、私の実家は二階建てではないのだ。いつか土に骨は帰り、筋肉は蒸発して君たちの肺に潜り込むのだ。魂があるとして、人間はそれをあまりに画一化して生きている。冷たい霙の降るくらい商店街を鶏肉求めて歩く自分は主婦にしてはできすぎている。誰もが僕の死を願ってくれさえすれば、僕は生きる気力も沸くのにね。