アウトプット

相手の視点に立ってみよう

言葉の海に飲まれて今日も私は神経痛

 神経痛ではありませんが、顔面麻痺でもございません。一度なったことがあるような。やばいよね。夢だったっけ。生きるとは神経との戦いですね。分厚い保護ケーブルを用意しましょう。調子が悪い時は皆が自分を責めているような気になりますね。だから外にも出たくないのです。外に出る気力なんてわきません。次第にこう考えます。やる気なんて存在しないのではなかろうかと。そう考えました。やる気は、後発的なものです。もし何かをやりたくない拒否反応があるのなら、それもやる気の一種でありましょう。多くの人はやる気があれば何でもできると思っておりますが決して違います。やる気は、本当に後から来るものなのです。嫌な人がいるから、行きたくない。もし嫌な人がいなくなったとしても、次なる障壁を作るでしょう。それはない、とあなたは言いますか?私は説得するつもりも持論に固執する気もございません。ただ、意識の流れを追っていきたいのです。そこに自然があるのでしょう。もし怠け者がいたら、考えてください。自分も怠けていいのだと。無理でしょう。怠け者は憎たらしいでしょう。だらしないでしょう。反面教師というかもしれない。それはそれでよろしい、立派な教師になりなさい。立派な教師ほど世の中に害悪を撒き散らす者もおりません。子供が卒業しても影で影響を与え続けるような教師は、いい教師ではありません、あなたにいい格好だけをその時期にピンポイントで見せつけることに成功した、ナルシストです。できるだけ、避けましょう。私は生きている人間に尊敬の眼差しを強く持つことはありません。調子がいい時と悪い時があるだけです。感謝は大事です。しかしそれはもちろん、自分のためです。この流れはよくないな、説教になっている。静けさほどいいものはない。相手の心中推しはかり、親しいものとは空気が流れる。若い人は常にフラストレーションのはけ口を、つまり、酒がないと狂えないので、酒に溺れますでしょうけれども、私なんかはもう、酒を飲む時は自分を奮い立たせて何かを憑依させるときに決まっています。次の日は必ず疲れます。酒を飲んだ次の日に、強い目的意識を伴う活動がない限り、しかもそれが身近でない限り、私は何もできません。私は彼女に感謝しなくちゃならないのです。私は要求ばかりするようになっていたのかもしれません。いまでも、もしかしたらそうかもしれません。言葉にも癖がありまして、例えば、グーグルで検索するとき頻繁に「f1」と入力して検索してしまいます。すると、今年に限れば日本語の文章でホンダの不調がニュース記事として現れます。ホンダは本当に苦戦していますね。顔が見えないから、応援する気も起きないけれども。アロンソを持ってきたのが間違いだね。アロンソのご機嫌とりに、インディーにやったり、アロンソは私の好きなドライバーだけど、早くないマシンに乗ってるアロンソなんて私は好きじゃない。アロンソ好きと言えば、自我が安定する。「f1」と入力すれば自我が安定して、気楽に過ごせるけれども、私はそんなつまらない男だったのかと絶望する。絶望して指も止まらぬ速さで彼女の淫部を濡らす。ぬるっとした感触が陰茎を伝わる。腰を押し付けしばらく感触を嗜んでいると白い液が付いてくる。精子よりかは濃い。つまりは、私は変態。しかも陰湿な。ああ、死にたい。

マジで

 やあ、だるいね。何もする気が起きないよ。書くこともないね。僕の頭の中はおかしくなってるなって思うなあ。それを書いたってしょうがないよ。金にならないことはしないってか?それ危ないよ。

手に届かぬ

 ああ、きょうもまた家事をしなくちゃならぬ、いつまでも猫のように眠っていられる私は病気かもしれませんからいつの日かそう遠くない時にふと消えてひとり誰にも見られないところにて勝手に死んでいるかもしれません。私はそういう人間でありますから、どうしようも救いなく、どう生きて良いのやら見当もつきませんで、アドバイスなど聞く耳を持ちませんから、アドバイスと反対の道に進むのが通例でございます故その辺を考慮して頂きものを申していただければ幸いかと存じます。

 女性について少し書きたいと考えております。私なんかが女性について書くと、石ころやら鋭い視線で殺されそうになるような気もしますが、そのような殺意を気にすることなく、バカの鈍感さで書きたいと思います。

 第一に、テレビのインタビューに答えるような女性に魅力を感じません。可愛くてキャッチーで今風を装っている風が気に入らないのです。世間に媚を売り股を広げて、問いかければ不気味な微笑が帰ってまいります。

 第一で終わり。考え付かないので終わりにします。最後に、

 言葉は、投げやりになってはいけませぬ。言葉こそ第一です。私は言葉を発する時に文章にしなければ、しどろもどろになって、なんにも言えなくなるのです。

車が飛ぶか?

 車が飛んだ。対向車線に走るバスに突っ込む。飛んだ車に乗っていた男性は死亡。嫌な事故だね。居眠りでもしたかな。62歳なら、年の功の居眠り運転、中央分離帯に備えられたちょっとした勾配の斜面をなぞって向こう側に行っちゃった。医者だったらしいが、せめて人を殺さなかったのが不幸中の幸いとまでは言わないけれども、事故で人が死ぬのは悲しい。追悼などしないのがテレビで、事件がどのような経緯で起こったのかさえ追及もせず、だらだらと映像を垂れ流しして視聴者を白痴にする。テレビは嫌いだ。非常に危険だ。テレビのニュースに一喜一憂し始めたら、まず、おかしいところの入り口だ。買ってもいない株の値下がりにショックを受け、世界経済の行方を心配する。ああ、おかしいったりゃありゃしない。言うだろう、株が下がれば、金持ちは消費をしなくなる。売り上げが落ちるじゃないか。話のネタにもなるじゃないか。役に立つ、そうかそうか役に立てば汚い泥水でも飲みますか。私は飲みません。就活中の若者。嘘のつきまくりに疲れて疲労困憊。人事に切れても良さそうなところ。それをしないのが社会だと、バカな大人たちはバカでいられる社会を全員で作り上げようと必死。学ぶのが金につながり、その金で何を買う?美味しい料理、妻の満足、どれもこれも自分でできないか。うっぷん溜まって物を買い、うっぷん溜まって土地を買い、家族の平和を買い、家族は平和のもと知らない男と通じ合う。ああ、世の中嫌になるなんて嘘ばっかしついて、自分も片棒担いでお神輿騒ぎの常連なのに。さてさて、つまらない話はよしましょう。梅雨入りしても雨降らず。曇りの天気に心は穏やかさを取り戻し、濃い夏の色を煙たがる。北九州の灰色。なんて素晴らしい!思っちゃいないけれども、口に出たんならそれが本心?知らないね。論理的じゃないから、話を聞かない。イエスキリストは神じゃないというのなら、話を聞かない。みんな都合よく嘘を聞いて本当のことなどどうでもよさげ、私は?心を捨ててもはや何もなし。感謝もなければ、あるのは内的動機。その弱さも知っている。外から来る動機は強い。が、束縛感がある。不自由だ。結局様式にはまる。自分を貶める。さて、車が飛んだ。どこに飛ぶ。バスの上を走ればよかった。作家がテレビで言っていた。それくらい自由に物が言えたらいいのに。今は老害の時代。じいさんばあさんに感謝しながら話を聞き流そう。戦争話は聞いてやろう。それ以外の説教は聞かないよ。その説教で億一千万の金が発生しても、かっさらって逃げていく。

イギリスの選挙

 対して変わらなかったね。対して。思っていたより温和に終わったね。テレビでも対して注目されちゃいないくらいだから。それより大変なのはトランプ大統領だね。こりゃすぐやめちゃうかもな。トランプの性格なんてあったことないし、あってもわかりっこないけど、やめちゃっても笑ってそうだからすぐやめちゃいそうだな。それに比べて、オバマさんのインスタ見てるとストーリーがあるよね。雰囲気がある。トランプはただの金ぴかやろうってわけだ。大統領に期待するってほど暇人じゃないからこっちが先に動いて考えて大統領の名前なんてワスレッちまったくらいがちょうどいいのかもしれないね。アメリカの大統領以外名前なんてろくに知らないしな。日本の報道が偏っている悲しみよ。偏りはしょうがない。商売だから。しかし、生きるために商売してるんなら悲しいよな。生きるってのは、強いられているわけだから。強制的に何かをしなくちゃならないって考えだよ。ああ、やめたやめた、めんどくさい。こんなめんどくさい思考に付き合うくらいのお人好しだからダメなんだよ。つまらないことはハナっからおさらばして、電車の中の意地悪なおっさんを無視するように、哀れみさえ投げかけずに、それを気にしない自分の魂を褒め称えるくらいの変態になりゃ、どこでだって生きていける。

 近頃感動したのは、ちあきなおみの、朝日屋の女郎って歌詞に出てくる歌だね。これは参ったね。ちあきなおみの声に乾いた砂漠が思い浮かんだと思ったら、ほれみた、洋楽のカバーじゃないか。いろいろカバーされてんだってね。まいった。俺もカバーされるような歌を一曲作りたいね。いつも聞いてばかりいるんじゃ、曲がどれも同じに思えるからね。そうだよ、人間ってのは、制作に携わらないと消費すりゃできないんだ。あきっちまう。飽き性ってのは、興味関心の伸ばし方を抑圧された人間の思考の怠惰だね。親が悪いってんじゃないけど、自分で好きなことをできない奴っているじゃん。例えば、損得勘定ってのでね。あれは、実に立派な主義だね。みんな金で動いてるって思ってる。恋愛だって結婚だって学問だって労働だってサービスだって犬のうんこだって、すべて損得勘定で割り切れるって思ってるんだから。立派だね。俺は否定しないよ。割り切れてるのは頭の中だけだろうから。残り、は見ないことにしてるのか。いや、みえねーのかな。俺も見えなくなるときあるけどね。そういう時は大抵顔色悪いね。ああ、体には良くないんだから、損得勘定の逆をいってるんだね。そういえば、精神分析学の偉い人が、思い出せる夢は割り切れなかったのこりだっていってたね。毎日夢見る俺の脳は、脳で睡眠中割り切れないものを量産してるんだね。こりゃ少し心配だな。あと、食べたらすごく眠くて今日はお休み、自主休講。記事見てたら、「死ぬまで働く若者の過労死」ってな記事タイトルを察知。病的な暗さの記事なんて読みたくねーから、タイトルだけで十分。俺は違うな、さすがだと思った。

 んー、この文体なら吐きだせそうだ。文章ってのは初めから何書くかあらかじめまとめるときとそうじゃないときがある。今は何も考えないで書いているようで、そんなことはなくて、キーボード打ちながら何かを考えてる。文章の良し悪しに拘泥されて文字を言葉にしないようじゃ絵が下手だから何も描かないで一向に上達しない絵描きと一緒じゃないか。私の彼女は後者で下手なことは決してしないけど、上手なことはいつまでも上手だね。私なんかほんとすぐ忘れちゃうから、うまいことできてもワスレッちまって、ダメだね。忘れっぽいってのは病気らしいけど、生活に支障が出なければってな具合で健常者とわけてるけど、記憶なんてあれば苦しめられるし、忘れて苦しめられるってことはないからな。苦しんでるのが人間っぽいんだろうな。そういう人間の方が安心するのかな。crown princesも苦しんでるのかな。加油akihito!