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好きなように書きたいの、貴方を離れて

 そうだね。きみの言う事はもっとも。文句なしだ。俺は文句なしに君の言っている事をその通りに肯定しよう。貴方は否定されたがるのだろうけれども。分別は人間の息の根を殺し、つまらない仕事を神の仕業にみせる。仕事は家庭の為にあるのだ。自分の為にあるんじゃない。家庭を蔑ろにする人間は仕事人にはいないのだ。労働者は家庭の為に働くのだ。自分の為ではない。もしや、一流と呼ばれるものを遊ぶためであるという人もいるかもしれない。どんな一流も成り下がるものだ。本当の一流は、労働者に鑑賞できないところにあるのだから。そもそも金で買えるものでもない。まがいぶつを手に入れ、労働の結果だと自分を慰めあらゆるおせっかいな賞賛を心に、その人への喜捨も忘れずにいたいものだ。貴方を認めてくれる人への惜しみない愛情とお金を与えるべきなのだろう。それは、支配者であるためだと考える。決してそんな気持ちはないはずなのだ。これは被支配者の妄想の域を超えはしないであろう。

 ああ、ちなみに僕はどうでもいい事ならなんだって書けるし。どうでも良くない事には美辞麗句をもって受け答えるものだ。いたってまじめに。この世界をいきている。誰よりも聡明で誰よりも物事を楽しむ心に余裕がある私は工業製品を作る事も企画する事も他人任せ。どうだっていいのだ。どんなつまらないものでも、それを楽しむだけのものにするちからがあるのだ。そうじゃなくっっちゃ、作った意味がないじゃないか。ものは使われてなんぼであるし、楽しまれてなんぼじゃないか。作っただけで喜ぶのは、性にあわない。作るにしてもマス工業同一企画製品の生産など、私には興味がないのだ。手作りの工芸とそれを作る動因の美しさと醜さ情熱と怠惰のうちに育まれる愛がなければ、私にはものはただの楽しまれるものである。けれども、工業製品でも私は惜しみなく愛する事ができる。ものを大事にするとは、制度を大切にすることだ。それは、ベルトコンベアーであるし機械的な流れ作業、工員、みえない人達の手を想像しそれへの感謝の気持ちのほかに何があるだろう。

 結論をもてば、人間は安心するのだろうか。思考の停滞こそ人間がもっとも不安になるときではないだろうか。結論は否応無しに人間に人生を強いてくる。人生を強制された人間は思ってもいない事を言い出す。自分の感情をそこに込める事なしに、話す。言葉の流れ作業の疾風の中にたたずんで、私の心のそよかぜを感じる事はないのだ。息が詰まりそうになる。息はすでに詰まってしまっている。そして、死んでしまう。だから、人間は死ぬのだ。心臓の停止、脳死でもなく、すでに死んでいるのだ。死んだり生き返ったり人間はするものなのだ。これは、社会の公共的な文脈では受け入れられないが、確かに、一人になれば行き着くひとつの境地なりまたは社会から逃れ距離を保ち礼節を重んじる欺瞞の源泉でもある。そうではなくて、どうして酸素の足りないところでマラソンなどするものか。お金が免罪符となり、何もかも許され。何もかも許される免罪符を人々はありがたがる。

 アラベスクドビュッシー。澄み渡る湖に広がる波紋はあの水鳥が羽根を羽ばたかせ。どこへいくこともなしに、思いなしの中を跳びさっていく。私にお尻を向けてあっちへ飛んでいく。夕日が水面をなでる。森の緑の中を枯れ草が生い茂る。痒くなりそうな。心地の中へ。身につけるものがどれも私には肌のあわないアレルギーのようなものであるとしても。君は東京の街をひとり暮れなずむ夕日に社会の大衆の慰めるありきたりで低俗な夕日に、影を長くして交差点の赤信号に親しみを覚える。恐怖に近づいて安心する。本当の恐怖を味わう為の道程。どこかへいってしまいそうになって、砂浜の貝殻の耳を当てる。きこえてくるのはアラベスク